伊藤組グループ代表、故伊藤義郎氏を偲ぶ「蒼空のつどい」、人柄伝わる厳粛なお別れ

経済総合

 北海道商工会議所連合会会頭や北海道建設業協会会長を務めた、伊藤組グループ代表だった故伊藤義郎氏を偲ぶ「蒼空のつどい」が、2024年3月4日、札幌市中央区の札幌グランドホテルで行われた。政財界をはじめ米国関係など約500人が参加、故人と別れを惜しんだ。会は日本語と英語で行われ、1時間半にわたって伊藤氏の足跡を辿った。(写真は、「蒼空のつどい」で弔辞を読む北海道商工会議所連合会会頭・北海道建設業協会会長の岩田圭剛氏)

 伊藤氏の大きな遺影の後ろには蒼空を掛けぬく飛行機雲が描かれ、先端には伊藤氏の愛機だったセスナ525サイテーションジェットの姿があった。「蒼空」とは、青く美しい空という意味で、寿美子夫人の願いから「蒼空のつどい」として開かれた。会は、全員の黙祷から始まり、遺徳をしのぶ映像が10分間流され、その後、札幌交響楽団の弦楽四重奏による「虹と雪のバラード」が演奏された。

 弔辞では、北海道商工会議所連合会会頭、北海道建設業協会会長の岩田圭剛氏が、「北海道の大きな歴史の1ページが閉じられた。まさに巨星墜つという言葉に等しい。伊藤会長は北海道の歴史そのものだった。伊藤会長は、いつも『大北海道』と言って47都道府県の一つではないと仰っていた。日本の中で、北海道は必ず貢献できる大地であり、インフラ整備をすることは無駄ではなく、日本のためという信念を持っていた。目指すべき指針を示す北極星のような存在だった」と述べた。

 続いて、元米国中央軍司令官海軍大将ウィリアムJ.ファロン氏が登壇。「どんな状況でもヨシさんはいつも笑顔だった。自信と尊厳と善意に溢れ、フレンドリーな人柄が伝わってきた。彼ほど日米同盟の強化と友情促進に取り組んでいた人はいなかった。ヨシさんは、米国海軍の尊敬すべき特別な友人だった」と弔辞を述べた。弔電の紹介では、伊藤会長の孫、伊藤香一氏がラーム・エマニュエル米国駐日大使からの弔文を英語で代読、日本語に自ら訳した。

 お礼の言葉として伊藤組土建玉木勝美会長は、「伊藤会長は、次々に新しいことに挑戦し、実現する実行力があった。原動力は、生まれ育った北海道をさらに良くしたいという北海道愛そのものだった」と話した。
 伊藤組代表を務める長女の美香子氏は、「父は何事にも厳しい人だったが、普段は優しく心穏やかだった。その父がたった一度だけ声を出して泣いたことがあった。私の2歳年上の兄が関東のスキー場で倒れ、20歳で他界した時だった。強い責任感と精神力があったから、夫婦で深い悲しみを乗り越えてきた。蒼空に飛行機を見つけたら父を思い出して下さい」と話したうえで、孫に触れ、「いずれ2人は伊藤組を守り、近い将来には伊藤組を引っ張っていってくれると信じている」と結んだ。

 孫の香一氏は、「90歳を超えて大学に通いたいと言うほど新しいことを学ぶことが大好きな祖父だった。私たちにさまざまな学ぶ機会を与えてくれ、学ぶことの大切さを教えてくれた」と話した。同じく孫の美子氏は、伊藤氏とのエピソードについて、「祖父は、万歳三唱が好きすぎて、万歳十二唱になることがあった。スピーチはうまいけれど、手紙を書くのが苦手で、一枚のはがきを書くのに1日かかったこともあった」と話していた。
 伊藤組グループでは、創業者の伊藤亀太郎氏が山林を取得して以来、118年にわたって道内11ヵ所、2290haの山林を管理、育成し守ってきている。献花については、樹木と同様に多くの花がこの集いのためだけになるため行わず、伊藤氏への思いを各自が伝える形で最後のお別れをした。

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