札幌中心部の駅前通で「敷島ビル」や「敷島北1条ビル」など貸しビル事業を展開している敷島屋(本社・札幌市中央区)。創業132年の同社にとって初の非同族社長に就いたのが、藤池英樹氏。藤池氏は北洋銀行出身で、会長に退いたオーナー、中村達也氏のサポート役して事業拡大を託された。社長就任から半年、藤池氏に札幌中心部のオフィスビル需給や成長戦略などをインタビューした。《ふじいけ・ひでき》1959年興部町生まれ、64歳。6歳から札幌で育ち札幌北高等学校、北海道大学法学部卒。1982年北海道拓殖銀行入行、1998年北洋銀行に移り、2019年取締役本営業部本店長を最後に退職。2019年から2021年までノースパシフィック社長、2021年から2023年まで北海道二十一世紀総研社長、2023年6月に敷島屋社長。銀行時代は人事部で13年、その他は営業店などを歴任した。安田光春頭取とは札幌北高の同期生。
ーー敷島屋入社の経緯は。
藤池 2023年6月28日に入社しました。前日まで北海道二十一世紀総研の社長だったので休みを一日も取らずに来ました。敷島屋は、旧北海道拓殖銀行の頃から人材を受け入れており、北洋銀行に営業譲渡されて以降も継続して、1名ないし2名が来ています。
ーー旧拓銀、北洋銀出身の社長就任は初めてですね。
藤池 社長はオーナー系が続いていましたが、中村達也社長が79歳になったのを機に代表権のある会長に昇格、サポート役の実務者として私が選ばれました。これまで、グループ会社では銀行出身の社長はいましたが、敷島屋本体では旧拓、北洋銀出身者が社長に就任するケースはありませんでしたから、今度が初めてです。敷島屋をワンステップ、ツーステップ大きくしていこうという中での指名と受けとめています。
ーー敷島屋は札幌の老舗ですね。
藤池 1891年(明治24年)に鮮魚店として創業したと聞いており、今年は創業132年です。石川県金沢市から札幌に来た創業者が、創成川沿いで商売を始めたようです。その後、旅館業に転じて、戦前に現在のこの地に移ってきました。戦後、GHQに接収された時もありました。それを機に旅館業から貸しビル業に転換したようです。
ーー貸しビル事業はいつ頃から始まったのですか。
藤池 1948年から木造3階の事務所でスタートしています。建物を建て替えながら事業を広めて、現在は敷島ビル(北2条西3丁目1)、敷島北一条ビル(北1条西3丁目3)、敷島プラザビル(同)の3棟を運営しています。売上高は、温泉ホテルの「敷島定山渓別邸」を含めて現在約13億円です。その他に「札幌南ゴルフクラブ駒丘コース」などを運営しています。
敷島屋は、賃貸ビル3棟の運営ですから規模は小さいものの、札幌中心部のオフィスビルとして存在感は大きいものがあります。3棟は満室が続いていて、空きが出てもすぐに埋まる状況が続いています。本州企業の出先事務所・地場IT企業などがテナントの中心になっています。
ーー駅前通をはじめとする市中心部のオフィス需給はどう推移していますか。
藤池 札幌ビジネス地区のオフィス空室率は、3%を下回る水準が続き、札幌は全体的に良い状況が続いています。現在は、札幌で約29万坪強のオフィス面積がありますが、北海道新幹線の札幌延伸に向け、2030年頃までには、約9万坪が新たに供給されるという試算があります。その頃には少し空室率が高まるかもしれません。
ーーBCP(事業継続計画)の観点から、札幌に本社を移転する動きも続いていますし、ラピダスに関連したビジネス需要も見込めます。
藤池 当社のような比較的年数を経たビルのテナント需要は、根強いものがあります。新築オフィスビルに比べて賃料は割安ですし、オフィス環境も整えているため、競争力があると認識しています。市内で計画されている新築オフィスビルが完成してからの需給状況を見ながら、建て替えの時期を見極めていこうと思っています。それまでは、設備更新をしながら対応していきます。