メルカリ山田進太郎CEO「夢があれば続けられる」、北海道経営未来塾でオンライン講演

経済総合

 03年26歳で日本に戻り、「ネットサービスをつくっていこう」と覚悟を決め、05年27歳で仲間3人と「Unoh」(ウノウ)を設立。「会社を設立したもののサービスをつくることとお金を稼ぐことは違う次元で、とても辛い4年間だった。設立時に3億円調達したが、サービスをつくってもうまくいかず調達したお金を食い潰す日々だった」。そこで目を付けたのが当時はやっていたゲーム。モバイルとゲームを組み合わせればヒットするのではないかと考えて制作したところ大ヒット。やがて世界ナンバーワンのZyngaが日本に進出。10年32歳の時、山田氏はZyngaに買収される形で日本法人になることを決断した。

 Zyngaの日本法人になって1年半務めたが山田氏は退社を決意する。12年34歳の時、1年間かけて世界旅行に出かけた。「ビジネスのネタを見つけようというのではなく、純粋に旅人として南米や欧州、アフリカ、中東、インドを回ったが、新興国を重点的に訪問した。南米の紛争地域で危険なところにも行ったが、皆普通に生活していたことに驚いた。日本に帰って来てからあらためて日本の豊かさを感じ、自分が世界に向けてできることは何か、何か世界に役に立つことをしなければならないという『謎の使命感』が沸々と湧いてきた」と振り返った。

 そして13年35歳でメルカリを創業。スマートフォンが普及し始めており、新興国の人たちもスマホを持つことは確実で、スマホで何でも売買できるアプリを作ることを決めた。当時は楽天やヤフーもオークションサイトを手掛けていたが、さらに多くのプレーヤーが参入を目指しており早く市場を押さえないと他のプレーヤーに負けてしまうと思い、山田氏は、アプリをリリースした1ヵ月後に3億円を調達、半年後には15億円を調達した。「当時は時間との戦いで、常に『早く、早く』という気持ちが強かった。14年頃には4~5億円をかけてテレビCMを打った。あの頃はゲームアプリのCMは多かったが、フリマアプリのCMは初めてで、多くの人に、良いタイミングでメルカリを認識してもらうことができた。このおかげで、『フリマアプリ=メルカリ』という状態をつくることができた」と話す。

 最後に山田氏は、夢を持つことの大切さを塾生たちに訴えかけた。「僕は26~27歳でアメリカに行ってネットサービスをつくることを一生の仕事にしようと思った。夢は簡単に実現できないが、夢があるから続けられる。目標を持ってひたすら前進することは人生を豊かにする。実感をもって毎日を楽しく過ごすことができる」と結んだ。

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