若手経営者の育成を目的とする「北海道経営未来塾」の公開講座が12日、札幌市中央区のホテルモントレエーデルホフ札幌で開催された。札幌商工会議所と北海道商工会議所連合会の主催、北海道経営未来塾実行委員会の共催によるもので、今年4回目。講師のモスフードサービス櫻田厚会長(66)の講演に、塾生と一般聴講者ら約150人が熱心に聞き入った。IMG_6116(写真は、ホテルモントレエーデルホフ札幌で講演する櫻田厚モスフードサービス会長)

 テーマは、『モスのこころ 食を通じて人を幸せにする』。櫻田氏はまず3歳のころの体験を披露。「父は興信所勤めで、母が毎朝父の靴を磨いていたが、ある時3歳の私に『磨いてごらん』と言った。いつも母のやり方を見ていたので、やってみると母から『厚、すごいね』と褒められた。母の笑顔と喜んでくれる姿を今でも覚えている。それ以来、人を喜ばせることは楽しいことなんだとスイッチが入った」と述べた。

 都立羽田高校2年の夏に父が脳卒中で急逝、生活が一変する。母はパートに出かけ、櫻田氏自身も授業の後に蒲田の東急プラザ7階にあったニュートーキョーで皿洗いのバイトを始めた。夕方5時半から午後11時半までびっしり。「その時に、初めて社会人と接触、普通の高校生活ではできない貴重な体験ができた」と振り返る。

 そのバイトは、卒業まで続けたが、バイトを終えると先輩たちに誘われて横浜や横須賀に連れて行ってもらい、「高校生なのに深夜まで酒を飲んで終電を逃して帰れない。始発で帰って高校に行く生活が続いた」(櫻田氏)。

 一家の大黒柱を失って大学進学を諦めた櫻田氏は、高卒後に広告代理店に入社。3年後の1972年、叔父が創業したモスバーガー(モスフードサービス)の創業に参画することになる。「叔父の会社は、正社員の月給が6万4000円だったが、アルバイトは時給210円で1ヵ月556時間の勤務。今なら考えられない勤務時間だが、月給は11万円にもなった。当然、アルバイトを選んだ」

 モスの1号店は、東京・板橋区の成増店。櫻田氏が同店の店長をしていた78年、マクドナルドが1号店を成増店の前に出店してきた。当時のモスの店舗は、2・8坪で12席。マクドナルドの店舗は80坪、120席で10倍以上。多くの人は、モスが閉店に追い込まれると予想した。しかし、結果は違った。

 マクドナルドのオープン日に、モスは平日で過去最高の売り上げを記録、その後の企業としての在り方の原点を掴んだ。「パート従業員たちに、『基本に返ってパンの厚さや肉の焼き方、野菜の調理法など、もう一度きちんとやろう』、『お客を名前で呼んでみよう』、『もっと店を綺麗にしよう』と基本の徹底を呼び掛けて実践した。そこからモスの基本であるHDC(ホスピタリティ=おもてなし、デリシャス=美味しさ、クレンリネス=衛生)が生まれた」と櫻田氏。目の前にマクドナルドの店ができたことによって、モスは創業の原点や社業の目的を見つめ直すことができ、そのことによって地域に受け入れられていった。(次回に続く)


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