矢野氏は振り返る。「もし夜逃げをしなかったら、もし百科事典のセールスで成功していたら今はなかった。社会に出て自信をなくし気が弱くなったことが結果としては良かった。気の弱さに有難さを感じる」。
百科事典のセールスは長く続かず、求人広告で高給が得られる商売として見つけたのがチリ紙交換。始めてみるとこれが性に合っていた。「会社には40人ほどの従業員がいたが2ヵ月で売り上げトップになった」。そのころ、医師だった兄が所用で上京。住所を知らせていなかったのに兄は矢野氏を探し出し、「ニューオータニに泊まっているから会いに来い」と。
実は夜逃げをしたのは、その兄たちから借りた金が返せなかったためだった。チリ紙交換で貯めた借金の一部50万円を持ってニューオータニに向かったが、ホテルに入れない。30分ほど入り口付近でもじもじしていたが、意を決してホテルに入り兄の泊まっている部屋の呼び鈴を押した。
中から顔を出した兄は、「五郎(旧姓・栗原五郎)、元気そうだな」の第一声。借金を踏み倒した矢野氏を責めることなく身体の心配をしてくれた兄に「優しさ」を感じたという。その話をしている最中、矢野氏は当時の様子が脳裏に浮かぶのか嗚咽を繰り返した。
この日、50万円を返済し、その後、親子3人に養子縁組の話が出て広島に戻ったこと、移動販売を始めたが放火による火事で商売を断念しようと決意した時に兄たちから「もう一回、出直せ」と多額の見舞金をもらったこと。さらに、倒産、自殺を考えたことなど今日のダイソーの姿からは考えられないような裏面史を赤裸々に語った。
矢野氏は、「恵まれないことは幸せなことに通じ、恵まれていることは不幸せなことに通じる。今の立場や境遇に感謝することで強さが出てくる。感謝することが自らの価値を高め、感謝を忘れることで人の価値はどんどん下がっていく」と講演を結んだ。