福沢諭吉が1万円札の肖像画になって1日で満30歳になったという。そこで、今日は「福沢諭吉が立つ」話題をひとつ。「立つ」と聞いても昨今の給与振込ではピンとこない人が大半だろう。でも、その昔、給与やボーナスが現金で支給されていた時代には「ボーナスが立つ」なんていう話題があちこちで聞かれた。(写真は、日銀札幌支店)
福沢諭吉がそれまでの聖徳太子に代わって1万円札の顔になったのは1984年11月1日。紙幣の肖像画は死去してからかなりの年数が経ち、評価が世間的に定着している文化人らでなければならない。生きている人なら評価や名声がいつ変わるか分からないからだ。
それで、立つ話。立つというのは封筒に入れた1万円札が立つということ。これは某金融機関のトップに聞いた話なので、多分信憑性は高いと思うが、聖徳太子の時代は1万円札が100枚で立ったそうだ。しかし、福沢さんは100枚じゃ立たないという。技術が進んで聖徳太子さんより薄くて小さいからで、「150枚は必要だよ」とそのトップ。
お札が立つことは筆者も経験したことがある。ただし、安定性が悪く一瞬だけですぐに倒れてしまう。何度やってもそうだったから多分150枚に遠く及ばなかったのだろう。
でも、道内のある地域では最近、「1万円札が立つ」話題があちこちで聞かれているそうだ。しかも、社会人になって何年も経たない若い人たちでもそうだという。地域と職種は書かないが、実際に笑いが止まらないらしい。何も反社会的なことをしている訳ではなく、しっかりした本業が絶好調なので夏のボーナスが立ったという。
日銀によると福沢さんは約80億枚流通しているという。1億人で割ったら80枚。30歳になった福沢さん、たまにはウチに来てください、待ってます。