札幌市中央区南1条西5丁目の「ホテルオークラ札幌」が、9月20日で閉館した。1980年にホテルオークラの運営協力により「ホテルアルファ・サッポロ」として、開業以来41年間の営業を終了した。今後、建物は解体され、土地建物所有者の三菱地所(本店・東京都千代田区)がオフィスビルの建設を計画している。
(写真は、9月20日で営業を終えた「ホテルオークラ札幌」)

「ホテルオークラ札幌」は、前身の時代から昭和、平成、令和の3時代にわたって札幌の中核シティホテルとして街を彩ってきた。他の大規模シティホテルとは違い客室数は147室(開業の頃は135室前後)とコンパクトだったが、キラリと光る存在感に溢れていた。「大倉シャンツェ」や「サッポロビール」など旧大倉財閥は札幌と縁があったため、「ホテルアルファ・サッポロ」はよそ者のホテルとは受け取られず、スムーズに市民に受け入れられた。

 ホテルの外壁にはレンガが使われているが、このレンガは「ホテルアルファ・サッポロ」を誕生させた仙台の関兵精麦・関光策氏がこだわったものだった。江別のレンガ会社が特注で作ったレンガで「アルファブリック」と呼ばれ、関氏が札幌市内で手掛けたマンションにも利用された。レンガは、雪と緑に映える色合いで、「ホテルアルファ」の重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出す役割を果たした。

 関氏は、「ホテルアルファ・トマム」でトマムリゾート(勇払郡占冠村)の開発にも乗り出し、「トマムザタワー」も建設したが、バブル崩壊で1998年に経営破綻。「ホテルアルファ・サッポロ」も1999年に自己破産し、その後、ホテル運営を加森観光(本社・札幌市中央区)が承継、2003年から「ホテルオークラ札幌」として営業を始めた。

「ホテルオークラ札幌」には「ホテルアルファ・サッポロ」時代から「ホテルオークラ」の経営哲学『ベストACS』の考え方が貫かれた。これは、ホテルオークラの第2代社長、野田岩次郎氏が唱えたもので、「A」はアコモデーション=施設、「C」はクイジーン=料理、「S」はサービスのこと。この3つが整ってホテルは成り立つというもで、最も難しいのがサービス。ホテルオークラ出身で、「ホテルアルファ・サッポロ」の総支配人を経験した置田健吾さん(77)は、「地域の人たちに愛されるホテル運営を行うため、サービスには一番力を入れました。お客さまがホテルの価値を決めるので力を抜くことはできなかった。その後もサービス重視の考え方は引き継がれ、『ベストACS』の精神を体現したホテルとして市民に愛されたと思います」と話す。
 
 ホテルの玄関が一方通行の道路の右側にあるのは、全国を見渡してもこのホテルだけだろう。41年間に亘って札幌の街とともに時代を積み重ねてきた同ホテルだったが、閉館に伴い個性的で印象深い建物はやがて解体へと向かう。前出の置田さんは、「ホテルが建つ前の更地の時から知っている身としては、おこがましいが我が子のような存在。寂しいの一言に尽きます」と話していた。

 

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