北海道知事を1995年から2003年まで2期8年務めた堀達也さんが、2026年5月16日死去した。90歳だった。道庁出身の道産子知事として道民目線を失わない道政改革を実行、玄人受けする地味な政治家だったが、現在の道政に繋がる確かな足跡を残した。
(写真は、堀達也さん=右と横路孝弘さんとのツーショット=2014年3月に開催された社会福祉法人ノテ福祉会設立30周年記念祝賀会にて)
堀さんは、サハリン生まれの遠軽育ち。遠軽高校から北大農学部林産学科を出て、道庁入庁。営林署の現場からスタートして出世階段を駆け上がり、1993年6月には、横路孝弘知事時代の副知事として業界対策や議会対策などの黒子役として、道庁マンらしからぬ調整能力を誇示した。その能力を連合が評価して、1995年4月の知事選に出馬して当選。1999年4月には、当時の民主党と自民党の相乗りで再選を果たした。
2期8年の間に、道庁の懸案とされた「泊原発3号機」「苫小牧東部開発」「幌延深地層」の3点セットに道筋を付けたほか、公共事業を見直す「時のアセス」、後任の高橋はるみ知事が行った「支庁制度改革」の種を蒔くなど道政史上に記憶に残る実績を残している。1996年の豊浜トンネル事故に際して「災害ではなく事故」のコメントが取り上げられ、批判を浴びたこともあった。
巡り合わせもあったが、道庁組織を揺るがした不正経理問題は、その後全国に飛び火した。3期目を目指したものの、当時の町村信孝衆議が古巣の通産省(現経済産業省)から北海道経産局長を務めた高橋はるみさんを立て、堀さんは忸怩たる思いを胸に仕舞いこんで、出馬を断念した経緯があった。
その後、堀さんは、自ら北海道の食やエネルギーの振興普及を目的に「フェック研究所」を設立したが、目立った活動をすることもなかった。それを見かねた当時の北洋銀行武井正直会長(道経営者協会会長)が、伊藤義郎伊藤組土建会長(札幌商工会議所会頭)に相談し、伊藤さんが務めていた札幌大学の理事長ポストを、堀さんに譲ったこともあった。
札大理事長を2004年から2009年まで5年間務めたが、その間に大学資産の運用を進め、含み損を抱えるに至り、任期途中で辞任したこともあった。その後、北海道開拓記念館館長や北海道体育協会会長、北海道森と緑の会理事長、北方領土復帰期成同盟理事長などの公職に就いた。
堀さんは、人の能力を見抜くことに長けてもいた。知事時代には、磯田憲一副知事、丸山達男副知事、真田俊一副知事、鎌田昌市教育長、石子彭培公営企業管理者といった、学歴に関係なく仕事師を要職に抜擢したり、民間副知事としてホクレン常務だった西村博司さんを起用したりするなどした。大のゴルフ好きで知られ、知事退任後は、年間100回のラウンドをこなすこともあった。
恵庭カントリー倶楽部や生まれ故郷に近い網走市のオホーツクカントリークラブの理事長も務めたこともある。経済人の中では、とりわけ愛知県出身者と馬が合ったようで、恵庭ホールディングス会長の柴田和徳さんや2025年に死去した小金澤健司さん(アイティ・コミュニケーションズ会長、公益社団法人北海道観光機構会長)との親交が深かった。



































