元北海道知事の堀達也さん(76)が、孤立感を深めている。盟友とされた後藤森重元自治労委員長とも疎遠になり、堀さんと近しかった人たちも距離を置くようになっている。その姿は孤高を持する元知事のイメージとは対極にある。
堀さんは、サハリン生まれの遠軽育ち。遠軽高校から北大農学部林産学科を出て、道庁入庁。営林署の現場からスタートして出世階段を駆け上がり、93年6月には横路孝弘知事時代の副知事として業界対策や議会対策などの黒子役として道庁マンらしからぬ調整能力を誇示した。


その能力を連合が買い、95年4月の知事選に出馬して当選。03年には現民主党と自民党の相乗りで再選を果たした。
2期8年の間には、道庁の懸案とされた「泊原発3号機」「苫小牧東部開発」「幌延深地層」の3点セットに道筋を付けたほか、公共事業を見直す「時のアセス」、現在の高橋はるみ知事が行った「支庁制度改革」の種を蒔くなど道政史上に記憶に残る実績を残している。
しかし、こうした光の部分とともに堀さんには常に影の部分も付きまとった。巡り合わせも合ったが、道庁組織を揺るがした不正経理問題は、その後全国に飛び火したこともあった。
3期目を目指したものの町村信孝衆議が古巣の通産省(現経済産業省)から北海道経産局長を務めた高橋はるみさんを立て、堀さんは忸怩たる思いを胸に仕舞いこんで出馬を断念した経緯があった。
その後、堀さんは自ら北海道の食やエネルギーの振興普及を目的に「フェック研究所」を設立したが、目だった活動をすることもなかった。それを見かねた当時の北洋銀行武井正直会長(道経営者協会会長)が伊藤義郎伊藤組土建会長(札幌商工会議所会頭)に相談し、伊藤さんが務めていた札幌大学の理事長ポストを堀さんに譲っている。
札大理事長は04年から09年まで5年間務めたが、その間に大学資産の運用をほぼ独断で進め、結果的に含み損を抱えるに至り、任期途中で事実上の引責辞任をせざるを得なかった。
現在は、道開拓記念館館長や道体育協会会長、道森と緑の会理事長、北方領土復帰期成同盟理事長などの公職に就いている。
これだけの後半生を辿れば、敵味方があったにせよ堀さんの周りには人が集まってきそうなものだが、現実はそうではない。
その原因の多くがカネにまつわる話に起因しているという。知事退任後、毎日のようにススキノの高級クラブに通い月々の支払いは百万円単位だったようだ。それをかつての支援組織であった自治労に付き回し。知事時代の持ちつ持たれつの関係から自治労も面倒を見ていたものの、これも程度の問題。常識の範疇から外れると離反していくのは当然。
自治労という組織が堀さんの元を離れ、最後まで盟友として残ったのは後藤さんだった。後藤さんには全国の自治労委員長時代に不祥事を引き起こした古傷があるものの、過ちを償って現在は某企業グループに身を寄せながら自省の後半生を送っている。
その後藤さんが、遂に堀さんとの関係に終止符を打ったという。後藤さんは、堀さんと同じ道の営林署からスタート、その後自治労専従となり労働組合の頂点を極めた。堀さんとは人生のルートが違ったものの共に頂点に登りつめた者同士として通じるものがあったに違いない。
堀さんと後藤さんの関係が終焉を迎えたことは、人生の晩年を迎えた二人にとってどんな心象風景与えているのだろうか。
(写真は、堀達也さん)

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