北海道銀行(本店・札幌市中央区)の元頭取を務めた藤田恒郎氏が2025年7月7日、死去した。同年7月14日、道銀が発表した。満91歳だった。通夜、告別式は、個人の遺志により親族のみで済ませた。道銀は後日、「お別れの会」を行う。(写真は、藤田恒郎氏=道銀提供)
藤田氏は、1934年5月生まれ、山口県防府市出身。1957年3月東京大学法学部卒、同年4月大蔵省入省。銀行局特別金融課長、国際金融局総務課長、大臣官房審議官などを経て、1987年6月証券局長、1988年6月大蔵省退官。1990年6月道銀副頭取、1992年6月頭取、2003年6月頭取退任。2004年5月一般社団法人札幌観光協会会長、2006年6月札幌学院大学理事長。
道銀は、バブル崩壊後に多額の不良債権で苦しみ、当時、同様に不良債権問題で窮地に陥っていた北海道拓殖銀行との合併で生き残りを図ろうとした。藤田氏は、その中心人物だったが、国の公的資金など金融危機対応が未整備だったことから共倒れを懸念、わずか6ヵ月程度で合併は破談になった。その後、道銀は、取引先でつくるライラック会を中心にした優先株発行、それに続く公的資金導入、北陸銀行との経営統合を経て危機を脱した。その先導役だったのが、藤田氏だった。
藤田氏は、2005年6月に47歳で執行役員だった堰八義博氏を代表取締役に選び、堰八氏は、翌年2006年6月、48歳で道銀初の生え抜き頭取に就任した。若き頭取をサポートする社外取締役として、アークスの横山清社長が就いたが、横山氏を推したのも藤田氏だった。当時の藤田頭取を副頭取として支えた佐藤譲治氏は、訃報を聞き、「見舞いにもいかずに申し訳なかった。何とも言えない。苦労されたからね。きちっとした人でした」と話した。また、当時の拓銀頭取だった河谷禎昌氏は、「亡くなったか……同じ年の生まれなんだよね」とだけ答えた。