11月17日から2022年1月23日まで、札幌市中央区の北海道立近代美術館で開催している企画展「富野由悠季の世界 ガンダム、イデオン、そして今」(主催/HBC北海道放送、北海道新聞社)。「ガンダム」生みの親でアニメーション監督の富野由悠季氏(80)が、この企画展への思いなどを語った最終回を掲載する。(写真は、ファースト関連の展示)
──コロナ禍がアニメ界に与える影響と、今後どのような作品が生まれ、業界はどう変わっていくとお考えですか。
富野 書評などを読むと、文芸の世界ではここ半年くらい前からコロナ禍を意識した作品が出てきているようです。これはコロナ禍という時代に対応した新しい才能が出てきていることと思ってください。
若い世代であればあるほど、コロナ禍に対する脅威への感度が、おそらく中年の人以上に高いんじゃないのかなと感じます。だけど、メディアも含めて、若い人の言葉をすくい取ることはしませんよね。いわゆる見識者の意見をすくい上げるようなことをやっている。でもこれは懐古趣味に結局陥るか、過去の方法論を投影するだけのものになってしまう気がする。実をいうと、国がやっている施策自体が過去論の学習でしかないような気もしています。なおかつ、それは本来、平時の時に改善しなくちゃいけないことだった。それがコロナ禍中で噴出したということは、平時に政治家は何も考えていなかったということです。
保健所の予算を平気で削ったりしたために、コロナで大騒ぎになっても肝心の保健所職員がいないという事態になった。政治家にそういった危機意識がなかったため、その軌道修正に1年半を費やしたのが現状です。だからこれ以後は、今までの経験をきちんと共有していかなければならないのですが、それはもう現実的に、若い世代に担ってもらうほかありません。
無免許運転で人身事故を起こしても辞めない都議会議員然り、たった1日出てきただけで1ヵ月分100万円の文通費(文書通信交通滞在費)を支給する国会議員の制度然り、ああいうのを平気で放置しておける神経は、全部大人の感覚なのですから。約40年前、「機動戦士ガンダム」で最初に発せられた言葉は、「人類が増え過ぎた人口を……」です。その問題意識を持てば良いだけの話なんですが。
僕は20年前にガンダムの制作をやめましたが、その一番の理由はガンダムが世に出て20年経っても、(実在の)政治家のレベルは下がる一方で、それに対する悔しさからです。文芸とかアニメというものは、意見を発しても無駄な媒体なのか。自分には力がなかったという反省からです。
ですが先にも触れた、文化功労者選出の理由を考えた際、自分の作品は発言する媒体としてあって良いという承認を得たのではないのかと。だからこそ、そういう行動は積み重ねていくしかないのかなと。それは富野由悠季の世界展からも教えられたことではあります。
アニメを軸にした創意の発動というものは、ただアニメが好きなだけ、といったところから作るのではなく、やはり社会性を帯びたものを作るという思いも、大事にしていって良いのかなと思いました。
──これから創りたい作品のコンセプトなどあれば教えて下さい。
富野 ……。敢えて、馬鹿なことを言うんじゃない、と言わせてもらいます。僕は現在80歳ですからね。
──とはいえ作家ですから。
富野 勘弁してください。作家だったらとっくの昔に、芥川賞、直木賞とは言いませんが、その立場で何らかの賞は取っています。そういったものが取れなかったことへの悔しさが本当にあります。結果としてアニメの仕事しかできなかった。だから格好つけざるを得なかった。でも、それは多少情けない。ただ「いや、そうじゃない」という声があることもうれしく思っています。
そして今は、「アニメも表現媒体として認識されている時代になってきているんだから、へりくだっちゃいけない。そして絶えず周囲に対してはお礼を言いなさい。ありがとう、と言っているのが一番無難なんだから」と妻から叱られる日々を送っています。(終わり)