大創産業の矢野博丈ファウンダー、嗚咽の講演

経済総合

 札幌商工会議所と北海道商工会議所連合会が主催し、北海道経営未来塾実行委員会が共催する「北海道経営未来塾公開講座」の第2回講演会が20日、札幌市中央区の札幌パークホテルで開催された。講師は「100円ショップダイソー」を展開する大創産業(本社・東広島市)のファウンダー、矢野博丈氏(75)。経営未来塾の塾生35人のほか経営者など約200人が聴講した。IMG_4955(写真は、講演する大創産業ファウンダーの矢野博丈氏)

 矢野氏は、1943年4月生まれで67年に中央大学理工学部を卒業。72年に家庭用品の移動販売、矢野商店を個人創業、77年に大創産業を設立し87年から「100円ショップダイソー」の展開を始めた。現在、ダイソーは国内3150店舗、海外1900店舗を展開し2017年度の売上高は4200億円。
 この経歴だけを見ると、順風満帆に送ってきた人生のように思えるが矢野氏の歩んできた道はまさに壮絶。講演テーマを「生きる」としたことでもそれがわかる。話し始めた矢野氏に参加者はみるみる引き込まれていった。

 矢野氏は、東京五輪のボクシング強化選手に選ばれるほどだったが、すぐに自身の実力がさほどでもないことを悟りあっさり見切りをつける。中央大ではワンダーホーゲル部を創部するなどやり手の自信家を自認していた。

 大学卒業後、故郷の広島でハマチの養殖業を行ったがうまくいかず3年で夜逃げ。当時2歳半の長男と親子3人で尾道から東京までクルマで丸1日かけて逃げた。途中、箱根から茅ケ崎に差し掛かったころに朝日が海面に反射してぎらぎらと輝いている。矢野氏はそれを見ながら疲労と焦燥感で全身から力が抜けていくことを感じたという。
「この先どうなるのか」。不安を抱えた夜逃げの行路は深く矢野氏の心に残り、10年ほど前まで正月の箱根駅伝で茅ヶ崎がテレビに映るたびに一人声をあげて泣いた。

 矢野氏は東京で高給がもらえる職業を探し、百科事典や書籍のセールスマンになった。借金を返して人生をやり直そうと始めたものの、本はほとんど売れなかった。社員30人中いつも27位くらい。トイレの鏡に向かって「今日こそ売るぞ」と30分ほど自己暗示をかけても売れなかった。自分で始めた商売に失敗し、サラリーマンとしてもうまくいかない。「飯を食べられるだけでも感謝しよう」と自らに言い聞かせるしかなかった。

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