小樽市築港の「石原裕次郎記念館」が8月31日、26年間の歴史に幕を閉じた。館内のボイラー施設や建物の塩害による老朽化が理由。この日は朝からファンが続々と詰めかけ約3000人が来館。午後6時の閉館時間を迎えると裕次郎さんの妻で、初代館長の石原まき子さんや石原プロモーションの舘ひろしさん、神田正輝さんらが玄関前で挨拶、集まったファンとともに別れを惜しんだ。※動画はこちらの画像↓をクリックしてご覧ください
(写真は、閉館の会見に臨んだ石原まき子さん=中央と舘ひろしさん=右、神田正輝さん=左)
石原裕次郎記念館は、裕次郎さんが父親の転勤で3歳から8歳まで過ごした小樽を第二の故郷として深く愛していたことから52歳で死去した後、小樽での建設計画が進み1991年7月に開館した。館内には裕次郎さん愛用の車や縁の品々、映画やテレビのスチール写真やポスターなど約2万点が展示されている。
開館した91年度の来館者は126万人で、26年間で約2000万人が訪れるなど小樽観光には欠かせないスポットになっていた。
最終日となったこの日は、午後2時から石原まき子さんら3人が同館で会見。まき子さんは、「小樽は結婚する前に、どうしても裕さんが見せたいと言って訪れた場所で、強烈な印象が残っています。ほとんどの遺品も展示されていて、今では小樽のほうが我が家のような気持ち。終わってしまうことはすごく寂しくて悲しくて辛いです。決まったこととはいえ辛い。ここまで裕次郎を見守ってくださった地元の方々、北海道の方々、日本全国の方々に本当に感謝を申し上げたい」と話した。
同席した舘さんは「裕次郎さんは、ああいう方でしたからしんみりと閉めたくない気持ちです。裕次郎さんの魅力はやんちゃで不良っぽいところ。それでいておちゃめ。人間が大きくていつでも人を許すのが男として魅力的でした」と述べた。また、神田さんは「裕次郎さんは、笑顔が魅力でした。きつい仕事を会社から言われて『頼むよ』と言われると、『わかりました』となります。本当に笑顔には魅力がありました。また、独創的でその時代のほかの方に交じることなく生き抜かれたと思います」と語った。
(写真は、感謝の振る舞い酒で並んだ石原プモーションの俳優たち)
展示品のうち裕次郎さん愛用のロールスロイスは小樽市総合博物館に、裕次郎オリジナルマンホールは小樽市水道局に、裕次郎さんに関する書籍類は市立小樽図書館にそれぞれ寄贈される。また、ピアノ3台は武蔵野音大楽器博物館、ヨットは小樽港マリーナに寄贈される。
(写真は、小樽港マリーナに寄贈される愛用のヨット)
9月3日まで、かつて出演した映画のポスターや縁の品々を南小樽駅、小樽駅、小樽築港駅で展示するほか、今後「全国縦断石原裕次郎遺品店」を各地で開催する。
なお、鉄筋鉄骨コンクリートの2階建て記念館は、買い手がつかなければ解体される。開館から26年、裕次郎さんが生きた52年間のちょうど半分の期間を昭和の大スターは小樽で輝き続けた。
(写真は、最終日に詰めかけた多くのファンで賑わう石原裕次郎記念館)