北洋銀行頭取、会長を務め、西尾長光・札幌商工会議所会頭の死去に伴い2004年6月に副会頭から第16代会頭に就任した高向巌氏(78)。2016年11月に12年と5ヵ月の任期を終えて札商会頭を勇退した。会頭在任中は北海道が何をもって生きていくかが問われていた時期と重なる。高向会頭は、食と観光を北海道の強みとして成長戦略を描くことに中心的役割を果たした。11月29日には北海道商工会議所連合会会頭も退任。高向氏に会頭時代を振り返ってもらうとともに、これからの北海道の課題、JR北海道の再生などについてインタビューした。なお、詳報は15日発売の北方ジャーナル1月号に掲載した。
(写真は、インタビューに答える高向巌氏)
―—会頭時代の約12年間はリーマンショックや政権交代、金融緩和など激変の時代でした。
高向 全体としては、低金利で不況がずっと継続した時代でした。1995年ころからの20年間はまさしくデフレ経済。『低圧経済』ということで需要が供給を下回るプレッシャーの弱い経済が続いてきたわけです。JR北海道もその20年間が問題だった。その期間に変化に対応しなかったことによって今の状況に陥っている。それは後程触れましょう。
―—札幌商工会議所と北海道商工会議所連合会の名誉会頭に退かれましたが、今の率直なお気持ちは。
高向 正直ホッとしています。大勢の方から『お疲れ様でした』と言っていただいていますが、米国の方から『おめでとう』、『コングラッチュレーション』と言ってもらいました。『引退おめでとうございます』と。そうか、『おめでとう』なんだと。外国の方は率直というか心に響きましたね。
―—経済界のリーダーとして札商・道商連の運営で心がけてきたことは。
高向 北海道経済連合会という筆頭の経済団体があって、その他に札商、道商連がありますが、私は頭を使うのが道経連、手足を使うのが札商・道商連というように整理していました。大衆運動的なことは我々がやるということで『米チェン運動』だとか、『厚生年金会館払い下げ運動』、『北海道新幹線誘致運動』を担ってきました。そういう方針を商工会議所の会員企業が強くサポートしてくれたのはありがたかったですね。
政権交代があっても、道民が選んだ政権、国民が選んだ政権と付き合うわけだから、何党であろうと付き合おうと。そのころよく私が言ったのは『白い猫だろうと黒い猫だろうと、新幹線を呼んでくれる猫はいい猫だ』と(笑)。政権を猫に例えるのはまずかったけどみんな『そうだ』とわかってくれました。
―—2010年11月には似鳥昭雄・ニトリホールディングス会長(当時社長)が東京駐在副会頭に就任、北海道新幹線延伸の契機になりました。
高向 何の意図もなく似鳥さんに副会頭になってもらった。結果的にはすごくお世話になった。似鳥さんには軍師の長内順一特別顧問(現在は北海道未来経営研究所代表取締役)が付いていて、自民党や民主党(当時)とも付き合っている。だから話ができた。私はラッキーだったと思っています。
―—商工会議所の役割は中小企業の振興を図っていくことが大前提ですが、経済全体の底上げを図っていくことも必要。やれたこと、やれなかったことは何でしょう。
高向 個別の企業支援もあるけれど、経済全体の底上げも大事。退任するにあたって、北海道の企業が今後どう生きていけば良いかを、自分なりにまとめたいと思っていた。あらためて分かったのは、北海道は資本蓄積が浅いということ。企業も個人もそう。だから赤字が少しでも続くと倒れる。これは本州の企業と違うところです。バブルの時も結局みんながそういう状況だったから、企業が次々に倒れて結局銀行にも波及した。やはり蓄積を持つようにしなければいけない。そのうえでのリスクテイクですよ。
もう1つは価格交渉が下手ですね。もう少ししっかりしないと。今は観光客がどんどん来ます。でもいっぱいだからお断りする。これはちょっとおかしい。需要と供給の原則に立って値上げすれば、どこかで均衡するはず。季節的にお客さんが来なくなったらば下げれば良い。そうすれば下げたことに伴ってお客さんの流入があるわけです。需給機能をみて、もう少し価格弾力性を持たせた方が良いと思う。その2つが気になっていたので是非言っておきたい。