越山元氏の「お別れの会」に400人が参会、札幌駅前通”チカホ”の立役者63歳で逝く

経済総合

 札幌駅前通の越山ビルディングズ社長で地下歩行空間の運営管理などを行っている札幌駅前通まちづくり会社初代トップを務めた故越山元氏の「お別れの会」が、15日午後、札幌グランドホテルで開かれた。再開発が進む札幌駅前通のリーダーであり名調整役として活躍してきた越山氏の63歳という早すぎる死を悼み約400人が参会、最後のお別れをした。IMG_2421(写真は、お別れの言葉を捧げる生島典明札幌市副市長)

 
 「お別れの会」は、越山氏がトップを務めていた札幌駅前通まちづくり会社とゆかりのあるアーティストたちが、故人を偲ぶのに相応しいスタイルとして光の祭壇にキャンドルを捧げる献灯という形で実施。越山氏の遺影が掲げられた祭壇に参会者1人ひとりがキャンドルを献灯して始まった。
 
 越山氏は、昭和27年10月生まれで、同46年に札幌北高を卒業、同50年に東海大海洋学部資源学科を卒業して北大大学院工学研究科修士課程に進み同53年に修了。翌年、中央オフィスメーションに入社してソフトウエア開発に携わった後、同56年越山ビルディングズに入社した。
 
 平成9年に同社専務、同22年には札幌駅前通まちづくり会社の設立と同時に代表取締役に就任した。同24年に越山ビルディングズ社長に就いたが、そのころから体調を崩し、入退院を繰り返した。しかし、駅前通の顔として各種の会合などには積極的に出席、その合間に越山ビルの5階にあった同社の事務所で書類に囲まれながら精力的に仕事をこなすなど病気を感じさせない気力、迫力があった。  
 
 昨年12月中旬に療養中の病の進行で体調を崩し入院、その数日後の12月22日午前死去した。63歳だった。
 お別れの言葉を語った札幌市副市長の生島典明氏は、札幌北高の同期生。生島氏は、「駅前地下歩行空間が完成するまで様々な関係者の利害を調整してまとめ上げて行く困難な仕事は君の活躍なくしてなしえないことだった。君なくして今のチカホの盛況を語ることはできない。古いビルの取り壊しも終わりこれから本体工事がスタートする矢先の訃報に言葉がない。札幌のまちづくりに責任感を持ち続けていた君は死んではいけなかった、死ぬべきではなかった」と遺影に訴えていた。
 
 また、札幌駅前通振興会副会長の松村耕一氏は、「昨年は北3条道庁前広場の赤プラが完成するなど札幌オリンピック以来の建築ラッシュを迎えた駅前通には、いつも越山さんの姿があった。越山さんが守った顔の見える穏やかなネックワークこそこのまちにはなくてはならない絆だ」と死を悼んだ。
 
 その後、上田文雄札幌市長や富国生命保険不動産部長、北洋銀や道銀の副頭取らが代表献灯をした。お礼の言葉を述べたのは、越山氏の従兄で越山ビルディングズ会長の越山友直氏。「病床で元君から『刀折れ矢尽きました』という言葉が出てきた。私は『とにかく休め。そしてもう一度だけ事務所へ出てこい』と応えると、いつもの口癖の『じゃ、やって見ますか』と笑顔を見せたのが最後だった」と語り参会者の涙を誘った。
 
 越山ビルディングズが保有する北2西3の越山ビルは、隣接する富国生命札幌ビル、札幌ビルディングの3棟と再開発を進めており、昨年末に更地になったばかり。越山元氏は新しいビルのお披露目を待たず逝った。
IMG_2429(写真は、代表献灯する上田文雄札幌市長)

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