国鉄やJR北海道で保線の専門家だった元鉄道マンの太田幸夫さん(75)が明治の歌人、石川啄木が日記や書簡に書き記した旅を当時の時刻表で正確に再現した『石川啄木の“旅”全解明』(富士コンテム刊)を出版した。1900年代はじめの時刻表は東京の鉄道博物館など一部にしか残存しておらず結局30年越しの収集検証作業になった。啄木が乗車した列車の時刻が正確にわかったため、啄木が詠んだ歌の背景や当時の社会事情などを探る手掛かりになりそうだ。(写真は、啄木の旅を当時の時刻表から明らかにした太田幸夫さん)
太田さんが啄木と出会ったのは1980年ころ。当時太田さんは小樽の保線区長をしていたが、手稲と琴似間の思川にかかっていた国鉄最古の鉄製橋梁が手宮の交通記念館に保存されたことをきっかけに鉄道史に興味を持ち、道内の鉄道に使われているレールがどこから輸入されたかを調査。90年代に『レールの旅路』(富士書院=現富士コンテム刊)を発刊した。
「鉄道に関する資料を集めて読んで行くと啄木が何度も出てきた。記述を読むたびに啄木の鉄道描写に惹かれ啄木にのめり込んで行った」と太田さん。
98年には『啄木と鉄道』(同)を出版し2002年には札幌啄木会を立ち上げ、昨年は10周年記念として札幌駅に近い偕楽園緑地に会員や有志と啄木の歌碑も建立している。
こうした太田さんの30年越しに亘る啄木研究の集大成ともなるのが、今回出版した著書。啄木は1897年から1908年の間に道内10回を含み21回の旅をしており、啄木の日記や書簡からすべての列車を割り出し、当時の時刻表から乗車や下車の時刻を特定した。
太田さんは、「啄木の乗車した列車を探し出すのは簡単にできると思っていたが大変な作業だった。道立図書館、札幌市立中央図書館、国鉄資料室へ足を運んでも明治期のものはほとんどなかった。国会図書館にもなく最終的には大宮の鉄道博物館にある程度の数が保存されているのがわかった。当時の時刻表集めだけでも20年を要した」と言う。
啄木の乗った列車の時刻を正確に知ることで啄木が詠んだ歌の背景を詳しく知ることもできる。たとえば『一握の砂』に「真夜中の 倶知安駅に下りゆきし 女の鬢(びん)の古き痍(きず)あと」という一首がある。函館大火で職場を失い、札幌に新職場を得た啄木が1907年9月13日に単身赴任する列車が倶知安駅に停車中の情景を詠んだものだが、真夜中とは何時なのかが記述されていない。太田さんは当時の時刻表から列車を特定、倶知安駅には深夜午前1時55分着、2時5分発の10分間停車していることが分かり、夜行列車の薄暗い客車内で乗客がそれぞれの人生を抱えながら生きている様を静かに描写したことがわかる。
流浪の歌人と言われた啄木の旅を正確に知ることで歌の本当の意味を理解する一助にもなりそうだ。
A5判、358ページ、1800円+税。富士コンテムは☎011―822―8786、FAX011―822―8785。