歌志内出身で炭鉱文学の第一人者だった故高橋揆一郎氏を偲ぶ「氷柱(つらら)忌」が27日、歌志内市公民館で開かれた。炭鉱生活を女の目線で情感豊かに描いた『観音力疾走』と一対になる作品で未発表だった『抗夫傳吉』を復刻本として一冊にまとめて出版され参加者に配られたほか、交流のあったノンフィクション作家合田一道氏の記念講演も行われた。ゆかりのある関係者約120人が出席した。主催は歌志内市郷土館支援組織である「ゆめつむぎ通信員」で氷柱忌としては5回目。(写真左は第5回氷柱忌の会場、右は講演する合田一道氏)
 
 高橋揆一郎氏は、歌志内市出身で住友石炭の上歌志内鉱の労務課で働きながら挿絵を描いたり創作活動を続け、退社後に挿絵画家として独立。その後も炭鉱にちなんだ小説を書き、1978年に『伸予』で北海道在住の作家として初めて芥川賞を受賞した。
 揆一郎氏は、2007年1月31日に78歳で死去。氷柱忌は歌志内市の有志が業績を偲ぶために5年前から実施している。
 
 揆一郎氏と50年来の親交があった山崎数彦歌志内市議会議長は、「私が小学生のころ、揆一郎さんは炭鉱の労務課で働いていたが、その時に絵を教えてもらった。炭鉱時代の絆を律儀に守り地域の子どもを愛し育てる心豊かな人だった」と挨拶。

 交流のあった合田氏は講演で、共に40歳代のころに札幌の紀伊国屋書店琴似店でサイン会をした写真を披露しながら、「炭鉱の生活を書かせたら右に出るものはいない。飾らない人間の姿が鮮やかに描かれている」と述べ、芥川賞を受賞した『伸予』の前年に書かれ芥川賞候補にもなった『観音力疾走』のエピソードを紹介。
 
「『観音力疾走』は最初、男の目線で書きあげて揆一郎さんが出版社に送ったところ、編集者から女の目線で書き直すことを勧められた。作家が書き直しを勧められるのは複雑な心境だったはずだが、揆一郎さんは女になり切って一人称で書き直した。一人称にしたことによって女の神性と魔性が見事に描かれ、新境地を開いたのではないか」と語った。
 
 今回の氷柱忌では、未発表だった作品『抗夫傳吉』と『観音力疾走』をまとめた復刻本も北門信用金庫の助成事業として出版された。
 
 揆一郎氏の甥にあたる高橋驍さんは、「『抗夫傳吉』という未発表作品があることは知らなかったが、遺品を整理していた時に見つけたもの。『観音力疾走』の原型になった作品で7回忌に合わせて出版できたことを叔父に報告したい」と話していた。
 
 この復刻本は900部印刷され、近隣の図書館や小中学校に寄贈される。
 
 なお、北海道立文学館では1月31日から3月24日まで特別展「高橋揆一郎の文学」が開催される。


この記事は参考になりましたか?