オリンピックの競技会場で羽織袴に金色のシルクハットを被り、日の丸の付いた扇子をもって応援する“オリンピックおじさん”こと山田直稔さん(東京江東区に本社を置くワイヤロープの浪速商事会長、92)が9日、心不全のため東京都内の病院で死去した。山田さんは、1964年の東京オリンピック以来、2016年のリオデジャネイロまで13大会連続で開催地に出かけて応援を続けており、20年の東京大会での応援を楽しみにしていた。(写真は、2015年2月9日に上田市長を訪問した山田直稔さん)

 山田さんは、ワイヤーロープメーカーで大阪本社の浪速製鋼の関東地区総代理店の浪速商事を60年に東京都で設立。ホテルや不動産などの子会社を含めて浪速商事グループ会長を務めていた。64年の東京大会は観客の1人だったが、68年のメキシコ大会以降は、独特の出で立ちをして応援、以降は毎回欠かさずに現地に赴き応援を続け、オリンピックおじさんとして国内外で知られる存在になった。

 札幌、北海道にも縁があって80歳を超えてからたびたび札幌を訪れている。2015年2月には冬季オリンピック・パラリンピックの招致を表明した当時の上田文雄市長を勇気づけようと訪問したこともある。この訪問は、一般社団法人北海道ファシリティマネジメント協会(略称・HFMA)の仲介によるもの。同協会は冬季オリパラ招致を積極的に進めており、専務理事の藤崎昌甫さんが山田さんと交流を深めたことがきっかけだった。17年2月に開かれた冬季アジア大会も観戦、冬季オリパラ招致の機運を盛り上げようと努めた。

 スポーツ好きの山田さんは、「オリンピックおじさん」以外にも長嶋茂雄氏命名による「国際オリンピック応援団長」、大沢親分こと大沢啓二氏が名付けた「プロ野球マスターズリーグ応援団長」、佐渡ケ嶽親方が名付けた「大相撲振興応援団長」、指圧の浪越徳治郎氏が送った「笑顔の交流 日本国笑裁」という肩書も持っていた。東京大会と同様、札幌オリパラ招致実現を楽しみにしていた山田さん、悔しさは如何ばかりだろう。


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