ソチ五輪に向けて葛西氏は、自分のジャンプがイメージ通りになってきたことを感じていた。ワールドカップでは常に緊張するというが、これを経験すればソチで最高のパフォーマンスができると自分に言い聞かせて臨み、14年1月にオーストリアで行われたワールドカップのフライングヒルで1本目に196m。2本目は緊張とプレッシャーで「心臓が口から飛び出るくらいだった」(葛西氏)が197mを記録、10年ぶりにワールドカップ優勝を果たした。(※7月22日に札幌市内で行われたSATOグループのオープンセミナーで葛西氏が講演した内容を再構成したものです。写真は、講演する葛西氏)
7回連続出場となるソチ五輪では、自分なりのミッションを作って臨んだ。選手団の主将を務めたこともあって、これまで翌日が本番のため参加したことのなかった開会式にも出た
迎えたノーマルヒルは、1本目に緊張して失敗、8位の成績。2本目は自分に腹を立てながら跳んだので全く緊張しなかったという。良いジャンプができ記録は101m。しかし、1本目が響いて8位に終わった。2月15日のラージヒルでは試技をせず本番の2本に集中しようと臨む。1本目、139mで2位。「22年間かけて巡ってきた大チャンスを逃すことはできない」(葛西氏)と2本目は132m50㎝。この瞬間、葛西氏は80%、優勝を逃したと思ったという。トップとは1・3ボイントの差。距離では80㎝程度の差だった。
「五輪では簡単にメダルは取れない。41歳と8ヵ月で個人戦初の銀メダルは嬉しかったが、金じゃなかった悔しさが上回った。だから4年後に金メダルという言葉が自然に出てきた」(葛西氏)
団体選は、清水礼留飛氏、竹内択氏、伊東大貴氏、そして葛西氏の順で跳んだが「竹内氏は年末年始に120万人に1人という難病、チャーグ・ストラウス症候群になっていたし、伊東氏もワールドカップで膝を痛め、ソチではノーマルヒルを辞退するなど皆、万全ではない中で臨んだ。個人戦よりもプレッシャーがかかった」(葛西氏)
リレハンメル五輪の原田氏の失敗ジャンプも頭をよぎったものの、14年シーズンは調子が良く、機械のように何も考えずに跳べるようになっていたため、葛西氏はプレッシャーに打ち克ち最高のジャンブをする。そして、獲得した銅メダル。「五輪で初めて嬉し涙を経験した」(葛西氏)
冬季五輪7回の最多出場記録、冬季五輪優勝最年長記録、ワールドカップ優勝最年長記録の3つがギネス世界記録に登録された。「最初の頃はカミカゼ・葛西と言われたが、一昨年あたりから海外でレジェンドと呼ばれるようになった。こう言われるのも満更でもないですね」と葛西氏は『レジェンド』がお気に入りの様子だ。
葛西氏の座右の銘は、「努力を積み重ねて自分の夢を叶える」、「諦めずに続けて行けば夢は叶う」。現在42歳、ピョンチャン五輪は45歳で臨むことになるが目標は金メダル獲得だ。「結婚したので奥さんと生まれてくる子供、姉、妹、父の家族みんなの前で金メダルを取りたい。それが最大の目標です」