第63回 ユダヤ人を救った功績を称える -偉大なる人道主義者 樋口季一郎記念館-

連載 北のミュージアム散歩

 「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
 第63回は、石狩市の「樋口季一郎記念館」です。ぜひご愛読ください。

(合田一道)

■第63回 ユダヤ人を救った功績を称える
-偉大なる人道主義者 樋口季一郎記念館-


記念館の正面と江崎幹夫館長

 石狩市高岡・五の沢地区の静かな田園地帯に、「古民家の宿SOlii(ソリイ)」があり、その敷地内に、石造りの蔵を改造した「偉大なる人道主義者 樋口季一郎記念館」がある。
 樋口季一郎(1888~1970)は、兵庫県生まれの軍人(元陸軍中将)で、ハルビン特務機関長だった昭和13年(1938)、ナチスに追われソ連・満州国境に逃れて来た多数のユダヤ難民を満州国に受け入れさせ、脱出ルートを開いた人物だ。この事件は、「オトポール事件」といわれ、樋口が救出した人数については諸説あるが、一説では2万人ともいわれる。


館内光景(江崎幹夫館長提供)

 ユダヤ難民を救った人物には、「命のビザ」で知られる元リトアニア駐在外交官杉原千畝がいるが、樋口の行動はそれより2年早い。ただ、樋口の場合は軍人だったために、長年その功績が語られなかった。
 昭和17年(1942)には、札幌に本拠のある北部軍司令官として赴任、翌18年には北方軍司令官となるが、第2次大戦中のアメリカ軍によるアリューシャン列島アッツ島玉砕、その後のキスカ島無血撤退作戦を、指揮する立場にあった。
 また、第2次大戦終戦直後の昭和20年(1945)8月18日、ソ連軍が千島列島の占守(シュムシュ)島に奇襲攻撃をしてきたとき、第五方面軍司令官だった樋口は札幌市豊平区の司令部から、「断固反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」との命令を出し、ソ連軍に大きな損害を与えた。
 この戦いがなければ、北海道は南北に分断され、北半分をソ連に占領されただろうといわれている。


樋口ルート図(館内掲示パネルより)

 知人からこうした話を聞いた札幌市在住の江崎幹夫(現記念館長・北海道古民家再生協会理事長・古民家の宿SOlii管理者)ら有志は、樋口季一郎の孫・樋口隆一(明治学院大学名誉教授)、篠田江里子(札幌市議会議員)らとも相談のうえ、石蔵を改修して令和2年(2020)9月に記念館をオープンした。開館式には、樋口家の人たちや石狩市長なども来賓として参列し、盛大に行われた。
 札幌軟石で造られた記念館の中には、樋口季一郎が第五方面軍司令部で使った机、直筆の俳句、関係の書籍や新聞記事などのほか、壁面に多くのパネルが展示されている。順に見ていくと、パネルには樋口季一郎の写真や年譜をはじめ、ユダヤ人との出会いの説明、樋口ルートの地図、ユダヤ人アブラハム・カウフマン(ハルビン・ユダヤ病院長、極東ユダヤ人評議会会長)の生涯、第七師団写真集、孫隆一の書いた感謝の言葉などが掲載されている。


ハルビン特務機関長 樋口季一郎(樋口隆一氏提供)

 江崎館長は「樋口季一郎はユダヤ人だけでなく、北海道の恩人でもあった。知れば知るほど、このような人がいたのか、と驚くと思う。その功績を国内外の人びと、そして未来を担う子供たちに、末永く伝えていきたい」と語っている。
 記念館はこじんまりしてはいるが、詰ったものは実にスケールが大きいと感じた。

利用案内
所 在 地:石狩市八幡町高岡103-3
T E L:090-9755-8058
開館時間:木~日曜日 11時~15時
アクセス:JR学園都市線石狩当別駅下車、タクシーで15分ほど。
入 館 料:高校生以上500円、中学生以下無料。
そ の 他:事前に電話で見学許可を得ることが必要。

付近の見どころ:
弁天歴史公園
鮭漁で栄えた石狩の歴史を再現する場として、平成10年(2000)、弁天歴史通りと一体的につくられた公園。園内には運上屋を再現した管理棟(内部には歴史資料を展示)、「先人たちの碑」、バザール広場、野外集会スペースなどがある。
所 在 地:石狩市弁天町38番地
アクセス:JR札幌駅から中央バスで60分、終点「石狩」から徒歩1分
     JR札幌駅から車で40分
そ の 他:4月29日から11月3日までの土・日・祝日は、管理棟にガイドが常駐し、観光案内をしている。

文・写真 北国 諒星

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