「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
第51回は、札幌市の「屯田郷土資料館」です。ぜひご愛読ください。
(合田一道)
■第51回 屯田郷土資料館 ―屯田兵の栄光と遺産を語り継ぐ―
屯田郷土資料館(屯田地区センターと併設)の正面
札幌市北区の屯田地区に、同市の「屯田地区センター」と併設される形で、「屯田郷土資料館」が建っている。この資料館は、昭和63年(1988)10月、地区の屯田開基百年記念事業の一環として開設された。
屯田地区は、かつての「篠路屯田兵村」があったところで、同資料館は全道の屯田兵のこと以外に、特に篠路兵村の歴史などを詳しく紹介している。
ちなみに篠路兵村は、札幌圏の琴似、山鼻、新琴似各屯田兵村に次ぐ4番目の兵村として明治22年(1889)に開設されており、この資料館のある場所付近一帯には、220戸の兵屋が立ち並んでいたという。
資料館1階入り口付近には、全道の屯田兵制度のあゆみを説明したパネルが壁に展示されているが、反対側の壁面に、篠路屯田兵の入植ルートを示した日本地図や、同屯田兵全員の「兵村入植者名簿」が展示されているのが特に目についた。
説明文によると、東北出身者が多い他の札幌の兵村と異なり、篠路兵村は西日本出身者が多く、具体的には山口、熊本、和歌山、福井など7県から220戸、家族を含めて1,056人が、「相模丸」(1,885トン)という船で日本海を回って小樽港に着き、そこから現地入りしたという。
前に進むと、屯田兵が開墾などに使った農機具類や日常生活の用具類などが、ところ狭しと陳列されている。その中には、篠路兵村の一日の生活を再現したジオラマや、開拓に馬が大きな労力になったことを示す模型、兵村を守る消防の器具類も含まれていた。
館内光景―1階と2階の展示状況
圧巻は、1階奥に復元展示されている「篠路屯田兵屋」である。説明文によると、明治22年に現在の屯田6条2丁目に山口県から入植した佐々木髙熊一家が、同37年(1904)まで暮らした兵屋だった。のちに佐藤健次郎という人物が譲り受け、昭和3年~22年(1928~47)頃までは住宅として、それ以降は納屋として使用していたのだが、資料館開設の頃、同人から寄贈を受けたという。今となっては、往時の屯田兵屋の基本原型を留める唯一の建造物で、「さっぽろ・ふるさと文化百選」に指定されている。兵屋の中に入ると、間取りや生活用具が観察できるよう工夫されているほか、屯田兵家族の会話が音声で聞ける装置なども置かれている。
2階へ続く階段の途中には、屯田兵の服装をしたマネキンや西南戦争、日清戦争への出征に関する写真などが展示されている。2階は、主に屯田兵の生活や文化に関する展示で構成されている。具体的には、篠路兵村おける屯田開基70周年・90周年の記念式典、洪水被害と稲作・土功組合の結成、地区の学校教育や生活文化一般、子供が描いた地区の未来の絵、地区の歴史年表などの説明文や写真が多数展示されている。
館内光景―1階奥にある屯田兵家屋とその内部の状況
その中で、明治31年(1898)の石狩川洪水で相当の打撃を受けながらも、兵村の「共有財産」を換金して費用に当てながら、水田づくりに成功していく過程や、地区で産する大根が“篠路大根”と呼ばれて有名だったことを知ることができる。
そのほか、大きな脱穀機、屯田兵に関するビデオ放映装置、昔のランプや下駄などの民具も、陳列されていた。
資料館近くの江南神社(北区屯田7条6丁目)の境内には、「篠路兵村移住記念碑」や「屯田開基90周年記念顕彰碑」などが建っている。
利用案内
場 所:札幌市北区屯田5条6丁目3番21号(屯田地区センター併設)
電 話:(011)772―1811
開館時間:午後1時~4時
入 場 料:無料
アクセス:地下鉄南北線麻生駅下車、中央バス麻01乗車~屯田5条7丁目下車、徒歩1,2分
付近の見どころ:
百合が原公園(札幌市北区百合が原公園210番地)
札幌市を代表するフラワーパークで、昭和61年に「86さっぽろ花と緑の博覧会」の会場となる。敷地面積は25.4ヘクタールで、ユリ(約100種類)のほかライラックやチューリップなど多くの植物が植栽されている。温室、ロックガーデン、リリートレイン、遊具広場なども楽しめる。
TEL:百合が原公園管理事務所 (011)772-4722
文・写真 北国 諒星