札幌市長選からおよそ50日、季節は春の入り口から緑深い夏へと向かっている。季節の変化は、勝者に優しく敗者には厳しい。敗れたものには埋めきれない悔いが残る。選挙に敗れた者の再起のストーリーは殆ど語られない。2度市長選に挑み、挫折を繰り返した本間奈々(46)を世間が顧みることはない。しかし、選挙に敗れても人生の敗者ではない。本間奈々はどう再起を図ろうとしているのか。そして、それをサポートする人たちの思いとは何なのか。(敬称略)(写真は、本間奈々氏)
札幌市長選は、あまりにも大差がついて勝敗は歴然としていた。負けた本間は悔しさよりも呆然としたに違いない。2度の挑戦、しかも前回よりも票数を減らした。「力不足、差を埋められなかったことは反省しなければいけない」。言葉には力がなかった。敗者の敗因は語る人によって百人百様。思いが一つになってなかったことがヤマを作れなかった原因だ。候補選考の過程で分裂した自民党札幌支部連合会。経済界を巻き込んだ軋轢は最後まで続いた。
選挙翌日、本間は支援者たちへの挨拶回りに向かった。伊藤義郎札幌商工会議所名誉会頭・伊藤組土建名誉会長に呼び止められた。「札幌から出て行かないで欲しい」と伊藤。総務省から札幌市役所に出向した時期も含め通算で7年を超えた本間の札幌生活。東京に次いで住んだ期間が長くなった。長男が高校受験を控えていることもあるが、選挙で応援してくれた人たちの恩に報いたいという思いも強かった。さいたま市副市長を務める夫との別居生活は続くが、本間のリアリズムは札幌に残る方向に傾いていた。
「中央から官僚を市長選に引っ張り出して敗れたらそれっきり。そんなことばかり繰り返している」。伊藤の自省を含んだ言葉に嘘はなかった。2007年の国交省技官、清治真人を市長候補として戦った場合も敗戦後しばらくは経済界で処遇したものの結局、清治は札幌を離れた。
本間はある意味で恵まれている。11年の初陣敗退後は札幌第一興産の武田治社長が「札幌を嫌いになって欲しくない」という一心で顧問として迎え入れ捲土重来を援助。そして今回は伊藤の申し出。伊藤は、自ら社長を務める不動産管理会社、伊藤組に本間を迎え入れることを決め、本間もそれに応えた。
途切れる札幌市と国との人脈。官界ネックワークが薄まっている札幌市は最も大切な国との信頼感が揺らぎ始めている。伊藤組土建オーナーで長くミスター自民党の伊藤は、それを肌身で感じていた。総務省キャリア官僚出身者を札幌に留め置くことでこれ以上人脈を細めたくない気持ちが伊藤を突き動かしていた。
6月1日、本間は伊藤組新規事業部長に就き、札幌国際エアカーゴターミナルの常務にも就任する。「襟を正してまじめに働きたい」。本間は、選挙が縁で交流が深まった札幌JCのOBたちとの連携も想定する。もう選挙は頭にない。
義理、人情と打算(GND)が選挙劇場の主役。勝ち芝居でGNDはより強まるが、負け芝居ではGNDは崩れる。伊藤が本間に差しのべた手はDが抜けたGN再構築の一石と映る。勝つよりも負けて輝くこともある。本間はドラマチック敗者となれるか。