(写真は、公開討論会終了後に握手する鈴木=左と石川氏)
また、泊原発再稼働については、「仮に原子力規制委員会が安全判断をしても道議会や自治体の意見を聞きながら判断したい。原発は過渡的エネルギーであり、将来的には多様な電源構成にしていくべき」(鈴木氏)、「規制委が安全基準をクリアしたと判断するとは思えない。再稼働の議論は是非の余地がない。脱原発の立場」とこちらも見解は分かれた。
国との関係について、石川氏は、「国に頼るのではなく、北海道の発展は国の発展に繋がるとして国に提案していくことが必要」と語り、鈴木氏は「夕張市長時代に3ヵ月に1度は地元で国、道、市の三者協議を行ってきた。(再建計画など)夕張の実情に即した見直しを要請して勝ち取ってきた。北海道の実情に合わせた制度変更などを要求していくような国との関係をつくり上げたい」と話した。
巷間言われている鈴木氏と菅義偉官房長官、石川氏と小沢一郎自由党代表の近い関係について司会者が問うと、石川氏は、「小沢さんの書籍を読んで秘書になった。今は、政治的立場は違う」と述べるにとどめ、鈴木氏も「夕張市長時代に歴代総務大臣に面会をしたが、面会後に電話をくれて夕張のことを気に掛けてくれたのは菅先生だけだった。官房長官になっても必ず時間を取ってくれた」と踏み込まなかった。
司会者は、2人のキーワードとして“逆境”を掲げ、かつての逆境から学んだものを問うと、石川氏は、「政治資金規正法で最高裁有罪判決を受け衆議辞職、公民権停止になった。1審、2審で納得いかなくて判決を認めることはできた。しかし、政治屋として復活できても政治家としては復活できないと考え最高裁まで戦った。司法判断は粛々と受け止める。大きな躓きの中で人を見る目を養った。電力の鬼、松永安左エ門は倒産しなければ良い経営者になれないと述べたが、政治家として良い経験をさせてもらった」と話した。
鈴木氏は、「29歳の時、東京の家を売り、スーツとカバン一つで夕張市長選に出馬した。結婚していたが、無職無収入になっても財政再生をして市民の期待に応えようと大義ある逆境に臨んだ。再生期間を短縮することもでき8年間、人生を賭けて取り組んだことで夕張の皆さまの期待に応えることができた。知事選に勝っても茨の道が待っていると思う。しかし、人生を賭けてこそ希望の道が拓けると確信している」と話していた。