北海道銀行元頭取の堀寛さんが9月12日に86歳で亡くなったが、堀さんを偲ぶお別れの会が札幌パークホテルで10月25日に行われた。堀さんは取締役相談役を退任した後に出身地の東京に戻っており、葬儀も東京で近親者だけで済ましていた。堀さんの家族は札幌を離れて10年以上経つため、札幌でお別れの催しをするつもりはなかったが、堰八義博頭取が堀さんの夫人・昌子さんの元を訪問し、札幌でお別れの会を開きたいと申し出て実現した。夫人の昌子さんは堰八頭取の申し出に感激していたという。


堀さんは、東京生まれの東京育ちで旧制一高、東大法学部卒、大蔵省とエリートを絵に描いたような人生を歩む。大蔵省国際金融局短期資金課長、ニューヨーク総領事兼在アメリカ合衆国日本国大使館公使、横浜税関長、大臣官房審議官を経て、昭和50年12月に道銀専務に就任した。同54年3月に副頭取、同59年6月頭取に就き平成4年6月まで8年間務めた。
堀さんを知る道銀OBは、「決して偉ぶったりしない人格者だった」と言う。堀さんが道経連の副会長を務めていたときに度々会合で道経連の入っているビルに来たが、会合が終わって道銀に戻る際に堀さんはひとりで車を待たせている地下までエレベーターに乗って帰っていった。普通なら道経連事務局の職員が、地下まで一緒にエレベーターに乗り、頭を下げながら車を見送るというのがパターンだが、堀さんはそれをさせなかったという。
また、道内経済関係者の一人は、「辛口で有名だったホシ伊藤(現ほくやく)の当時の伊藤太郎社長が唯一褒めていたのが堀さんだった」と述懐している。
お別れの会は午前11時から始まったが、会葬参加者は三々五々会場に入り、用意された花を祭壇に手向けて堀さんの遺影を仰ぎ見ながら手を合わしていた。
北洋銀行会長の高向巖さんや頭取の横内龍三さん、元札幌商工会議所会頭の伊藤義郎さん夫妻なども出席、伊藤夫人は堀さんの妻、昌子さんと丁寧に言葉を交わしていたのが印象的だった。
(写真は、お別れの会)

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