札幌の今、解体ノート③清田区北野7条1丁目「北洋銀行東月寒支店」

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 マチの新陳代謝は、建物の解体・新築が大きな要素を占める。見慣れた建物が解体され、新しい建物が建設され、マチは生まれ変わっていく。札幌には今、中心部にも郊外にも数多くの新陳代謝の姿がある。札幌の今を記録する『札幌の今、解体ノート』の3回目は、札幌市清田区北野7条1丁目の「北洋銀行東月寒支店」。(写真は、解体工事がほぼ終わった「北洋銀行東月寒支店」)
(写真は、旧東月寒支店の建物に残っていた「北洋相互銀行」の文字跡)

 札幌の豊平区から厚別区に伸びる東北通(とうほくどおり)。南東に進む道路なのに東北という名前に違和感を持つ読者も多いと思うが、古くは白石村と豊平村の村界を通ることから村界道路と言われていたそう。その後、月寒川を境に西北通(にしきたどおり)、東北通(ひがしきたどおり)と呼ばれ、いつしか全体が東北通(とうほくどおり)と呼ばれるようになったという。旧千歳線と並行して走っていたため、住居と飲食店が入り混じった下町のような雰囲気が今も残っている。

 そんな東北通沿いに北洋銀行東月寒支店は、1970年代後半に開設された。当時は普通銀行に転換する前の北洋相互銀行の時代だった。支店開設から45年ほど経過した昨年12月14日、東月寒支店は大谷地支店内に移転、一つの建物内に2つの支店が営業を行う、いわゆるブランチ・イン・ブランチの形態を採用、旧東月寒支店は閉鎖された。

 移転後に「北洋銀行」の看板などは外されたが、建物には「北洋相互銀行」の文字跡がくっきり残っていた。今年4月、個人に土地建物が売却され、建物はその後解体工事に入り、現在はほぼ解体が終わっている。東北通を行き交う人やクルマとともに時を積み重ねてきた一角は一つの役割を終え、白紙に戻りつつある。

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