北海道経営未来塾でエスコン・伊藤貴俊社長(53)が波乱の半生を語る②

経済総合

 その人物は、株主提案で役員の過半数をその人物側とすることを要求してきた。社長は、その人物が経営権を取りに来たとして、現役員の総辞職を決めた。役員一人ひとりが社長の考えに賛同する中で、伊藤氏は、首を縦に振らなかった。「社員も頑張って、ようやく黒字になってきた段階で辞めるという選択肢はなかった。何より金融機関や残りの社債権者との約束を果たさなければならない。会社を復活させるまで最後までやり切るという思いがあった」と伊藤氏。
 社長は、「あの大株主のもとで役員をするのか」と伊藤氏に詰め寄ったが、最終的に伊藤氏の強い思いに理解を示し、大株主のもとを訪れ、伊藤氏に社長を託すことに理解と賛同をを求めた。大株主も異論がないとして、2011年3月、伊藤氏は、エスコンの社長に就任することになった。

 伊藤氏は、当時の逆境をこう振り返る。「この3年間が人生において一番苦しい時期だった。もう一度経験したいとは思わないが、あの経験が今の経営に役立っている。高校時代は、野球部で肉体的な耐性を身に付けたが、リーマンショック以降の3年間では、経営の耐性を体得した。2つのことが、今、よりどころになっている」と話す。こうした実体験をもとに、『疾風に勁草を知る』『道義、正義を貫く』『先義後利』という経営の根幹を貫く道理を体得していった。

 苦労を重ねてさまざまな事業に取り組んできた中で、伊藤氏は、「出会いが人生を変える」ことを強調する。同社は、2018年8月に中部電力グループになったが、経営危機の際に大株主になってくれた人物から、「エスコンをさらに成長させるために必要な株主が見つかれば、相談してほしい。私の株を売却してもよい」と言葉をかけられた。そこで伊藤氏は、ある信託銀行の役員に「同業ではなく、不動産事業に課題を抱えている企業があれば、提携したい」と持ちかける。そこで紹介されたのが、中部電力だった。

 電力会社の中でも不動産事業に課題を抱えていた中部電力は、不動産事業の提携先を探していたところだった。一筋縄ではいかなかったが、交渉はまとまり、大株主が保有していた約40%の株のうち、33%を中部電力に譲渡して資本業務提携が実現した。「大株主の意向と信託銀行役員が紹介してくれた中部電力の不動産事業強化のタイミングが合致したから、グループになれた。1年でもタイミングがずれていたら、成就しなかったかもしれない。さまざまな人との出会いがあったからこそ、実現した」と伊藤氏。

「エスコンフィールド北海道」も、人との出会いがきっかけだった。伊藤氏は、日本ハムファイターズのアドバイザーをしている米国人と10数年来の友人だった、その友人からある日、こう持ちかけられた。「ファイターズが北広島市に新球場をつくるが、周辺を含めた開発をするデベロッパーを探している。大手はなかなか答えが出ないので、意思決定できるデベロッパーの社長を探している」と。伊藤氏は、新聞で北広島市に新球場をつくることは知っていたが、それ以上のことは知らなかった。ただ、12球団しかないプロ野球の1球団が新球場をつくり、周辺開発まで行うことに携われるチャンスは、もう二度とないと考え、伊藤氏の心は動いた。

 現地を訪れた時、辺り一帯は、雑木林が茂る山林だった。「本当にこんなところに新球場をつくるのか」と感じた伊藤氏だったが、ファイターズの役員と話すうちに、彼らの“目力”に圧倒されたという。「命がけのプロジェクトであることが分かり、直感的に彼らとなら一緒にプロジェクトに取り組めると判断、その場で『やりましょう』と快諾した」(伊藤氏)。
 伊藤氏は、賢明に生きていれば、必ずチャンスは来るという。経営に関しては、「利他の心」と「自らを律する克己心」、そして「謙虚であり続けること」が大切だと強調。その上で、「大木よりも名木を目指す」ことを原動力にすべきだと訴えかけた。

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