貸会議室、貸ホールなどの空間流通再生企業のティーケーピー(本社・東京都新宿区、略称TKP)は、コロナ禍で対面イベントが減り、貸会議室、貸ホールビジネスの収益が大幅に減少、創業以来の苦境に直面した。しかし、河野貴輝社長は着々と手を打ち、V字回復への布石を打っていく。2023年2月期は49億円の赤字になったものの、経営体力は一段と筋肉質になり、2024年2月期は67億円の黒字を予想、4期ぶりに最終黒字に転換する。SATOグループのオープンセミナーで講演した河野社長の起業の足跡と危機を打開してきた経営手法を紹介する。※SATOグループオープンセミナーは、2023年2月10日、TKPガーデンシティ札幌駅前で行われた。〈かわの・たかてる〉1996年慶応義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事に入社。為替証券部でトレーダーとして資金運用を担当。日本オンライン証券(現auカブコム証券)の設立に携わり、イーバンク銀行(現楽天銀行)の創業メンバーとして参画、執行役員営業本部長などを歴任。2005年8月、32歳でティーケーピーを設立、代表取締役社長に就任。ティーケーピーは大分フットボールクラブ筆頭株主で、河野氏は社外取締役を務める。経済同友会幹事、経団連審議員。
私は、大分県大分市生まれで、慶応大学在学中から会社をつくりたいと思っていた。当時は、資本金が最低で1000万円ないと株式会社がつくれなかったので、1000万円をつくるにはどうしたらいいだろうかと考え、株式投資を始めた。しかし、当時はそんなにお金があるわけではない。アルバイトで貯めたお金や親から借りたお金を合わせた100万円から株を始めた。しかし、100万円では買える株も限られてくるので、仕手株や倒産した会社の株を大量に買ったりした。全く儲からなかったので、株のことを勉強しようとゼミで財務会計を勉強したものの、結局全部すってしまった。
しかし、それが逆にきっかけになった。ピンチはチャンスだと実感した。これまでに、私は何度かのピンチに遭遇しているが、最初のピンチは、20歳頃のこの経験だった。プロのディーラーになればいいのではと、証券会社を受けたが、商社に行けば、もっと大きなお金が動かせるのではないかと考えた。伊藤忠商事では、為替、債券、株式を全て売買できると知り、入社試験を受けて入社した。
為替証券部に配属になり、ディーリングをすることができた。1兆円を5人で運用する。金利の高い債券を買って利益を出すのだが、そこで、先物オプションを絡めて債券先物などの相場を体験することができた。これが、TKPを設立する原体験になった。
どのような原体験かというと、それは先物オプションの考え方で、期限が来れば価値がなくなるものがあるという体験だった。賞味期限もそう言える。明日が賞味期限だったら、今日は100円の価値があっても明日にはゼロになる。つまり、一物一価ではなく、二価があると、気づいたのが伊藤忠時代だった。
伊藤忠では、社内ベンチャーを立ち上げて、今のauカブコム証券、以前のカブドットコム証券の設立に参画した。それが、最初のベンチャーとの出合いだった。その後、楽天銀行の前身、イーバンク銀行を当時の上司と共同で立ち上げた。ネットバンクを日本で初めて立ち上げ、銀行の最年少役員に就いた。その頃から、独立したいという思いが強くなっていった。
商社を経験して、ネット銀行を立ち上げ、この後は、やはり自分がオーナーとして会社をつくりたいという思いが強くなり、TKPをつくることにした。自分が培ってきた経験を武器にしないと勝負はできないと考え、ネットで集客することと、一物二価の金融的な考え方を取り入れようと思った。集客は、個人ではなくて企業をターゲットにして金融的な考え方を不動産に適用できないかと考えた。
そう思いながら、街なかを歩いていると、六本木に電気が消えているビルがあった。1階にテナントが入っているにもかかわらず、取り壊しが決まっているこのビルは、上の階が空いていた。これは何かに使えるのでは、と思ったのがTKPの一丁目一番地だった。
そのビルは、3階建ての雑居ビルで、六本木駅にも近い使い勝手のいいビルだったが、取り壊しの予定があり、安く借りることができた。すぐ隣には建設現場があったので、建設事務所用として相場よりも安い賃料にして敷金、礼金、仲介手数料なしで3階フロアを貸し出した。すると、利益が出た。2階のフロアは本社に使おうかと思ったが、もったいないと考えて貸会議室にすることにした。
近くのドン・キホーテで、1脚800円の椅子を50脚、4万円で買い、アスクルで6000円の机を15くらい買った。そうすると、50人弱の部屋になる。ざっと50万円で揃えることができた。会議室は1人当たり、コーヒー代より安ければいいのではないかと、1時間100円の貸会議室にしようと考えた。50人部屋なので、1時間5000円と値付けをした。取り壊しが決まっているビルだったので、オーナーから退去通知を受けてから3ヵ月以内に出ていく契約を結んだ。賃貸契約ではなく、レンタル契約にした。
当社がビルオーナーに家賃を払うのは、月末締めの翌月末払い。貸会場室は、インターネットでしか申し込めないようにして、申し込んだら、3日以内に使用料金を振り込んでもらう仕組みにした。お金はすぐに入ってくるが、支払いは月末締めの翌月末払い。商売の基本は、現金を先に入れて、支払いを後に回すこと。これが思いっきりできているビジネスモデルだった。貸会議室は、1ヵ月の売り上げが50万円になった。2ヵ月先、3ヵ月先の利用料もすぐに入ってくるので、100万円単位でお金が貯まっていくようになった。地味なビジネスモデルだが、これは非常に伸びるのではないかと思った。