58年間で区切り、「スーパーくまがい」熊谷威二会長(81)「やりきった。悔いはない」

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 白老郡白老町の「スーパーくまがい」(熊谷商店運営)が、58年間の営業を2024年8月16日に終えた。改装休業を挟んで北雄ラッキー(本社・札幌市手稲区)が、「ラッキーマート白老店」として継承する。「スーパーくまがい」の最終営業日、創業者である熊谷威二(たけじ)代表取締役会長(81)の姿が、いつものように店頭にあった。(写真は、「スーパーくまがい」の最終営業日に店舗前に立つ熊谷商店・熊谷威二会長)

 熊谷氏が、スーパーのとっかかりとなる商売を始めたのは1974年だった。地元出身で、大昭和製紙白老工場(現日本製紙白老工場)に勤めていたが、「サラリーマンが面白くなくて5年で退社した。退職金5万円で中古のダットサンを買い、野菜や魚の行商をやったのが最初だった」と熊谷氏。母親が、自宅の玄関先で野菜の戸板商売をしていたため、商売は、面白いかもしれないというのも理由だった。

 一軒一軒を訪ねる行商には面白さもあったが、当時は、掛け売り(その場でお金のやりとりをせず給料日などに一括して代金を払うこと)が大半で、収入が不安定だった。その頃、隣接する苫小牧市には、大型スーパーが相次いで進出。これまで買ってくれた得意先が、苫小牧に出かけて買い物をするようになった。

 これではやっていけないと、1979年に白老町大町で現金正札販売の「スーパーくまがい」を始めたのが、スーパーのスタートになった。白老町では、初のスーパーだったこの店舗は、多くのお客を呼び込み、65坪で年間9億円を売り、全国スーパーの中で坪売り上げ1位に輝いたこともあった。1984年には、苫小牧錦岡に出店、白老町に2号店も出店するなど勢いに乗った。室蘭市の白鳥台にも出店した。

 10店舗で年商100億円の目標を立てたこともあったが、地域の人口減少が進み始め、売り上げが伸び悩み始めたため、白老町以外の店舗は閉店。1997年に、町内2店舗を統合して現店舗をオープンさせた。「私は、スーパーの勉強をしたことがなかった。お客さまが先生だと思って、お客さまの求める品揃えや店づくりをしてきた。結果的に、そのことが地域のスーパーとしては良かったのかもしれない」と熊谷氏。

 店舗を統合したことによって、平成の時代を順調に駆け抜けていったが、平成後期になると、苫小牧市や登別市に「トライアル」など低価格スーパーが相次いで進出。「価格競争の影響を受けるようになったことに加えて、従業員の新規確保も人手不足でままならなくなってきた。うちの従業員の平均年齢は55歳。新たな人手が確保できないため、もってもあと5年だろうと。人口減少も加速しているので、売り上げが下がることも目に見えていた」(熊谷氏)

 そして1年前、熊谷氏は店舗事業の譲渡という重い決断をする。「この町にスーパーをなくしたくなかったし、従業員を路頭に迷わすこともしたくなかった。無借金で余力のあるうちに、譲渡先を見つけることにした。妻にも息子(熊谷商店社長)にも相談せず、私一人で決めた」と熊谷氏。

 譲渡先には数社が浮上したが、最終的に北雄ラッキーに決まった。「町に店を残すこと、従業員を引き続き雇用することなどのほか、何より桐生(宇優)社長の真摯な姿勢に感動した。道南の店舗に行った帰りには、必ずうちの店に寄ってくれたそうで、良い人(企業)に事業を託すことができたと思っている」(熊谷氏)。店舗内で「海鮮丼」などを提供する食堂も維持した形での承継運営になるという。

 最終営業日は、当初15時閉店だったが、店舗の商品がほぼ売り切れたため、早めに閉店した。閉店後も、地域のお客が続々と店舗を訪れ、熊谷氏と挨拶を交わす場面が何度もあった。熊谷氏は言う。「今までやってきたことが、間違っていなかったと改めて思う。やりきったし、悔いはない。がんばってきて良かったと思っている」。「寂しさ?そんなこと、口では言い表せないよ」。

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