札幌市などで「卸売スーパー」7店舗を展開する津司(本社・札幌市手稲区)の津司耕太郎会長が、大腸がんに伴う老衰で、2024年1月31日に死去した。73歳だった。(写真は、2024年2月2日に「ベルコ大谷地シティホール」で行われた通夜)

 津司耕太郎氏は、余市郡仁木町で4人兄弟の3番目として生まれた。実父が、札幌市で始めた「津司青果店」を継いだが、八百屋では商売が難しくなるとみて、1970年頃から食品スーパーマーケットに転換していった。スタート時の屋号は「りんごハウス」で、店内装飾にはあまりこだわらず、低価格で販売する方針を貫いた。「卸売スーパー」に屋号を変え、故ジャンボ秀克さんのテレビCMでお茶の間に浸透、店舗数を増やしていった。

 2022年5月に、社長を長男で専務だった達也氏に譲り、会長に退いた。糖尿病を患い、人工透析を受けていたが、昨年大腸がんが見つかり、闘病生活を続けていた。2023年12月には一時危篤状態になったが、奇跡的に回復、病床から達也社長に電話をかけ、年末商戦の売れ行きなどを熱心に聞いたという。達也氏は、「最期まで、頭の中には商売のことしかなかった人でした」と話した。賑やかで派手なことが好きだったという耕太郎氏の遺影は、ピンクのポロシャツにジャケットという格好だった。


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