ホクノー相談役野地武さん(87)逝く、2人のカリスマ(セコマ故赤尾昭彦会長・アークス横山清社長)と不思議な縁

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 札幌・厚別にあるもみじ台団地のショッピングセンター(SC)など、厚別区内で5店舗のスーパーマーケットを展開するホクノーの野地武相談役が、2023年6月18日に死去した。87歳だった。野地さんはスーパー勃興期の1970年代から、この業界に入り2人のカリスマ(セイコーマートの故赤尾昭彦会長、アークスの横山清社長)との出会いを通じて、ホクノー発展の基礎を築いた。(写真は、野地武さんの遺影)

 ホクノーのルーツは、1955年7月に設立された北海道農事。広島県から入植した野地家は代々、厚別で農業を営み、馬鈴薯生産を大掛かりに行っていた。現社長、秀一さん(54)の祖父、雅雄さんは、地元農業会の会長を務める実力者で、馬鈴薯の販売を目的に設立したのが北海道農事だった。東京にも出先を設けるなど事業は順調だったが、1960年代後半から札幌市の人口増に対応するため、新札幌地区に団地を開発することになり、この地域の大地主だった雅雄さんは、当時の板垣武四市長とタッグを組んでもみじ台団地の造成に協力、1971年にもみじ台SCを地権者らと設立、食品スーパー業に参入した。

 その雅雄さんの次男で秀一さんの実父である武さんは、1935年9月に次男として生まれ、札幌商業高校(現北海学園札幌高等学校)を卒業。本郷市場で夫婦で青果店を営んでいた。もみじ台SC設立にあたって、祖父の雅雄さんから呼び戻され、夫婦でスーパーの立ち上げから取り組んだ。「スーパーの棚に、どういう商品を並べていいのかが分からなかったので、母が駅前通にあったダイエー1号店を見に行ったそうです。紙に書くと怪しまれるので、マイクロカセットテープを用意して、どういう棚割をしているか吹き込んでいったと聞いています」と秀一さん。

 そんな頃、武さんがトラックで商品を運んでいる時に、信号待ちをしていた赤尾昭彦さんのトラックに追突する事故があった。赤尾さんは当時、丸ヨ西尾に勤めており、その時は配達中。幸いスピードも出ていなかったため大事にはならなかったが、それが縁で赤尾さんと武さんとの親交が始まる。その後、赤尾さんはセイコーマートを設立するのだが、一緒に東京で流通の勉強会に出席するなど、互いに刺激し合った。今も、ホクノーは酒類の仕入れをセイコーマートの関連会社から行っている。

 武さん夫婦は、朝から夜まで働きづめの毎日だった。武さんが毎朝市場で買い付けをして商品を運び、夫人が店を切り盛りする。秀一さんが、小学生の頃は二人とも帰ってくるのは午後9時を回ってから。「夜はいつも姉と二人で家にいました。子ども心に寂しい思いをしましたが、楽しみだったのがスーパーが休みの日に、職場のみんなと観楓会と称していろんなところに行ったことでした。パートの人たちや仕入れ先の人たちに混じって、ジンギスカンを楽しんだこともあります」と秀一さん。

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