店を出しても1年も経たないうちに閉店してしまうような、いわゆる“鬼門の立地”というものがある。札幌市内で言えば、豊平界隈の国道36号線沿いなどは飲食の新店が出ては消え、消えては出るという文字通り店舗の新陳代謝が激しい立地だ。
食品スーパーの店舗でも業界で“鬼門の立地”として知られているところがある。最も有名なのが札幌市北区新川西1条4丁目だ。
最初にここに建屋を建設して食品スーパーを出店したのは、丸井今井だった。10数年前に当時の社長だった今井春雄氏が多角化の一環として食品スーパー事業に参入し、マルイストアとして出店したものだった。
しかし、出店後ほどなく丸井今井の経営危機が訪れて閉店。今井春雄氏は社長の座を追われ丸井からも追放されてしまう。
新川店はその後しばらく空き家が続いたが、今井氏は自らスーパー事業の会社を興し「ゼスト」の店名で再びこの場所でスーパーを始める。しかし、結局うまく行かずに閉鎖。
3番目の出店は、マックスバリュ北海道だった。当時、マックスバリュ北海道は出店攻勢を掛けており、店舗を増やすことが経営の大きな柱だったため、反田悦生社長は居抜き出店で新川店をオープン。
しかし、1年ほどで閉鎖。3番目の店も頓挫することになり、いつしか食品スーパー業界では、誰が出ても成り立たない鬼門の場所として広く知られることになった。
それでも、逆にそういう立地だからこそ「我こそは」とジンクスに挑戦する経営者がいるのも事実だ。
その経営者が海商の伊藤実竜社長だった。この場所で会員制のディスカウント業を始め、店舗名を「バッタランド」としてオープン。ある年末にはひと月で3000万円を売り上げたと業界でも驚きが広がったことがある。
店名のバッタランドの意味は不明だが、関西では質流れ品などを格安で売る店を「バッタ屋」と言ったりするので、道民はともかく、関西人には「バッタランド」というネーミングは食品スーパーとして既に失敗という印象が強かったという。
「バッタランド」は、結局海商の破綻で閉鎖されてしまった。伊藤社長は鬼門を超えることが出来なかった。
そして、今ここに出店しようとしているのが卸売スーパーだ。卸売スーパーは居抜き出店を得意としており、固定費を極力少なくして価格を安くして生鮮品を提供、「食品アウトレット」という造語も作り出すなどデフレ時代の消費者の心をつかんでいる。
出店が決まれば5番目の食品スーパーになる。鬼門を克服することが出来るのかどうか、卸売スーパーの津司耕太郎社長の手腕に札幌の食品スーパー業界は注目している。
(写真は、新川の鬼門立地の店舗)