ホクレン農業協同組合会長を務めた藤野貞雄さん(83)の葬儀が11月30日、富良野市葬、ふらの農業協同組合葬として富良野文化会館で行われた。藤野さんは、ホクレン会長時代に道産農畜産物の道外販売を積極的に進め、北農中央会との共通会長制を導入するなど、大局的な見地で道内農業の方向性を示した実績がある。
小柄で小太り、分厚い手、そして眼鏡の奥の柔和な眼差し。藤野さんの印象は、まさに農家の好々爺が似合わないスーツを着ている朴訥なものだった。決して冗舌ではなくとつとつと言葉を発する姿は切れ者とは対極にあるかのように思えた。
失礼ながら率直な印象を言えば、鈍く重い小柄な農耕馬というものだった。
しかし、見られているのかどうか分からない細い目から時折、光が出てくるような瞬間がある。睨みつける目ではなくこちらの心根を見透かすような眼力といったようなものである。
そこから底知れぬ意思の強さを意識せざるを得なかった。
道内で生産される生乳を首都圏に運ぶために自前で生乳運搬のホクレン丸を作り、道外の酪農家からは“黒船”と怖れられ、農畜産物の素材販売から加工販売へ付加価値をつけるために、積極的に食品加工メーカーとの連携を進めた。
北海道農業の攻めの態勢を整える一方で、農業者のためにある農協の連合会が原点を忘れているとして連合会の組織スリム化にも取り組んだ。
その代表例が北農5連と言われたれ連合会の共通会長制の導入だ。それまで5人の会長がいた連合会組織を北農中央会―ホクレン、信連―厚生連―共済連の2会長制にしたのだ。
信連、厚生連、共済連はいずれも農家の生活、福利厚生を担当するため共通会長でも対応できるが、北海道農業の政治的な司令塔である北農中央会、そして農畜産物の営業販売を担当するホクレンのそれぞれの会長は多忙を極め、たった一人の会長で見ることは不可能と言われた。
5連会長は、各地域の農協連合会の会長が選ばれるが、4大地区と呼ばれる上川、空知、十勝、オホーツク・網走の鍔競り合いも激しくポスト争いも繰り広げられてきた歴史があるだけに、会長ポストを3減にすることによる各地区の不協和音は避けられないものだった。
藤野さんは、議論を尽くした上で断行、北農中央会―ホクレンの初代共通会長に藤野さん、信連―厚生連―共済連会長には阿部忠男さんが就任。結局、この共通会長制は1期3年で終わったが、まず実行することに藤野さんの真骨頂が現れている。
葬儀には農業団体や市役所関係者など約450人か集まり故人の遺徳を偲んだ。
葬儀委員長の能登芳昭富良野市長は、「富良野の農業を稲作から畑作に構造転換した大きな功労者。付加価値を高める農産物生産に道筋を付けた生涯農業一筋の人だった」と述べた。
銀座でカラオケをするのが大好きだったという面も併せ持っていた。晩年は、アルツハイマー病が進行していたといわれるが、北海道の農業に残した功績は歴史に刻まれることになる。
(写真は、11月30日に行われた故藤野貞雄さんの通夜)