DSC_5808DSC_5833 JR北海道の坂本眞一相談役が亡くなって4日、命を絶った現場の余市港防波堤には降り積もった雪の上に追悼の花が手向けられている。花輪の前には大ぶりのお猪口と北の誉のお酒も捧げられ、坂本氏の死を惜しむ関係者の声にならない思いが込められているかのようだ。JR北海道本社も半旗を掲げ、坂本相談役への弔意を示している。(写真左は、余市港防波堤の上に置かれた追悼の花輪、写真右は半旗を掲げているJR北海道本社=いずれも2014年1月19日午後撮影)
 
 札幌から西へ約70㎞、余市港まで約90分の道のりだ。14日夜、坂本氏は自ら車を運転して余市港に向かったとされている。その日の未明、坂本氏は防波堤から身を投げたものとされ、翌15日午前8時20分ころに余市港の沖で遺体で発見された。死因は水死。港の北側には海上自衛隊の余市防護隊があるが、遺体は同隊隊員によって発見され、小樽海上保安部によって引き揚げられた。死後4日経ったが今のところ遺書のようなものは見つかっていないという。
 
 余市湾の波を遮るために作られた防波堤の上は雪で覆われているが、坂本氏の死を悼む関係者が手向けたと思われる花とお酒、お猪口が置かれていた。防波堤の目の前には余市湾が広がり、右手に後志の山並みが見え、左手の遠方には雪に覆われた増毛の山々を望むこともできる。坂本氏が身を投げたとされる未明の時刻は、荒ぶる波音が不気味に響く暗い闇に包まれていたことだろう。
 
 JR北海道の社長、会長、相談役を務めた坂本氏の自死は、関係者だけでなく多くの道民に衝撃を与えた。JR札幌駅が再開発される以前に駅直結で催された劇団四季のキャッツのロングラン公演、プロ野球北海道日本ハムファイターズのペイント施したニセコエクスプレスの運行、さらにはJRタワーの開業など坂本氏は阪急電車の創始者である小林一三氏のように、いわば鉄道文化・駅ターミナル文化を北海道に根継がせようとした先駆者でもあったからだ。
 
 死の真相は不明だが、JR北海道だけでなく北海道の一時代を築いた実力者を失った痛手は計り知れない。


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