留萌本線の石狩沼田と留萌間35・7㎞が、2023年3月31日で営業を終了した。1910年(明治43年)11月23日の開通以来、113年の歴史に別れを告げた。ラストランが行われたこの日、NHK連続テレビ小説『すずらん』のロケ地にも使われた恵比島駅(明日萌駅として登場)では、お別れセレモニーが開かれた。この席で地元自治体、沼田町の横山茂町長は、涙ぐみながらスピーチを行い、口惜しさを滲ませた。地元首長の本音が詰まった挨拶をすべて紹介する。※動画はこちらの画像↓をクリックしてご覧ください。
(写真は、恵比島駅で行われたお別れセレモニーで挨拶する横山茂・沼田町長)
(写真は、恵比島駅で行われたお別れセレモニー)
春の日差しがまぶしく、春の訪れが目の前に到来している本日、恵比島のこの地に多くの皆さまご臨席のもと、JR留萌本線お別れセレモニーに、地元を代表して一言、お別れの言葉と地域の皆さまにお詫びのご挨拶をさせていただきます。
恵比島の地に鉄道が敷設されたのは、113前の1910年。私も60年前にこの地域で生まれ、この地で育ちました。当時は炭鉱が操業していたことから、この恵比島駅より(幌新まで)留萌鉄道が運行され、多くの乗降客がこの駅に降り立ち、賑やかさと活気ある地域だったことを今、思い返しています。
炭鉱閉山や留萌鉄道の廃線、駅の無人化で、徐々に賑わいを喪失していったさなか、NHKの『すずらん』のロケがこの地で行われ、翌年の1999年4月より放映開始と同時に、全国各地から多くの観光客が来訪され、その年から『SLすずらん号』が運行となったのも、島田(修・JR北海道)会長が、直接携わった事業だったことを推察します。
ドラマブームも過ぎ、高校の閉校、人口減少の影響から利用者数の減少により、本日をもって石狩沼田駅から、留萌間が、時代の流れとはいえ、廃線となることは、悔しく言いようのない寂しさが募り、この地で育ててもらった一人として存続ができなかったことに、(沿線住民の皆さまに対して)心からお詫びを申し上げる次第です。
この沼田町に、鉄道が通ったのも、沼田町の開拓者である沼田喜三郎が自身の土地や財産を提供していただいたことにより、現在の形がつくられたと聞いています。その財産である留萌本線を持続するため、さらには今後の鉄道を守るため、道内自治体では唯一JR北海道を支援する立場を明確にし、できる限りの活動を展開してきたところです。
この留萌本線は、明治末から1世紀以上にわたって、地域の足を支え、石炭やニシン、農産物物流の要でしたが、北海道各地の路線が縮小のレールをひた走り、赤字のふた文字で鉄路が消えていくことに、正直憤りを感じます。
北海道の広大な大地に地方ローカル線が整備され、隅々まで鉄路が繋がっていたからこそ、豪雪地帯である北の大地での生活基盤が確立されました。北海道農業を、道民の生活を、観光大国北海道を守るために、これ以上道民の宝である鉄路がなくなることのないよう、国、北海道、そしてJR北海道に切にお願いを申し上げたうえで、ここまで雨の日も、吹雪の日も留萌本線を支えてくれた皆さんに心から感謝と、多くの人の夢や希望を運んでくれた留萌本線にお礼を申し上げ、挨拶といたします。
これからも我々の心の中でいつまでも走り続けてくれるでしょう。ありがとう留萌本線、そしていつかまた会おう、恵比島駅。令和5年3月31日、沼田町長横山茂。
セレモニー終了後に、横山町長は、本サイトに「何とかしたかったというのが、正直な気持ちだったので残念でならない。沿線住民には、鉄道がなくなることによる生活の不安がある。私たちは、生活の不安がない環境をつくらないといけない。それが使命。バス転換にするにしても、今は転換したバス事業そのものが廃止される状況。しっかりと不安のない足を確保しなければならない」と話した。
涙ぐみながらの挨拶だった理由を聞くと、「私は幌新生まれで、留萌鉄道に乗って恵比島駅で降り、小学校に通っていた。スピーチで感極まることはなくはないが、今日は特に……」
(写真は、留萌駅に向かって走る気動車)
(写真は、恵比島駅を出発した留萌駅行き気動車)