明治25年、1892年11月1日に開業した石勝線夕張支線が3月31日、126年余りの歴史を終えた。炭都・夕張の盛衰を支えてきた鉄路は、この日たくさんの人たちに見守られながら有終の美を飾った。※動画はこちらの画像↓をクリックしてご覧ください。

(写真は、夕張駅に停車する最終日の気動車)

 夕張駅で行われたお別れのセレモニーで、JR北海道の島田修社長は、「夕張支線は長く石炭輸送を使命として日本の近代化と経済発展を牽引、夕張市民の生活の足を支える路線として大きな役割を果たすとともに地域の皆さまに支えられてきた。石炭産業の衰退とともに環境は変化、観光事業や映画による地域活性化の効果はあったものの、輸送密度1日83人まで減少。これまで夕張高校生など市民の皆様に大切に利用していただいたことに感謝したい」と挨拶した。

 また、来賓として登壇した夕張市の齋藤幹夫理事は、「列車の走行音、遮断機の音色など夕張支線は私たちの目に耳にたくさんの思い出を残してもらった」と振り返ると、夕張高校生2人が「今後は、私たちが夕張を盛り上げて、多くの方々に来てもらえるように頑張りたい」と述べた。

 どんな人にも鉄路は心象風景にくっきりした姿を刻んでいるもの。思い出を投影する装置として鉄路ほど相応しいものはない。126年余り前にスタートした歴史が、ゴールを迎えた。夕張市民だけでなく夕張に縁のある人たちは、鉄路の終焉を自らの思い出とともに心に反芻していることだろう。多くの人たちは夕張支線が果たしてきた役割に感謝と敬意を抱いている。

 遠くから汽笛が響き、しばらくして気動車が見えてきた。徐々に近づいてきてエンジン音を響かせながら目の前を走り過ぎ、遠ざかっていく。この日でこの光景は消える。胸に込みあげてくるものを感じた。
(写真は、鹿ノ谷駅に到着した夕張行きの気動車)
※2019年4月2日タイトルを変えました。ご了承ください。


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