中島尚俊氏の自殺で2ヵ月近く不在だったJR北海道の社長に小池明夫会長(65)が復帰することになった。小池氏本人も望まぬ形でのトップ復帰にJR北海道上層部の一枚岩になれない派閥事情が見え隠れする。
安全最優先を遺書に書き残した中島氏は、何より上層部の団結を訴えていた。社長に復帰する小池氏の第一の仕事は上層部の足並みを揃えることにある。(写真は小池明夫氏)
 
 JR北海道の代表権者は小池会長と中島社長の2人だった。JR発足以来、代表権者は会長、社長、筆頭専務の3人というのが通例だったが、この数年間は異例の2人体制だった。技術担当の柿沼博彦氏が代表権のない副社長に就いていたこともあって柿沼氏を飛び越して代表権付与にはならなかった事情もあったと見られる。
 
 本来であれば筆頭専務の栗原進開発事業本部長(58)が代表権を持ち、次期社長候補として内外の耳目を集め、時期が来れば禅譲というパターンだが、様々な事情から栗原氏には代表権が与えられていなかった。
 
 その理由のひとつに栗原氏は小池会長に近いとされ、中島社長との距離は相当開いていたことも挙げられる。
 
 JR北海道の上層部は、小池派と中島派に色分けされるという。小池氏はJR東日本の松田昌士元会長に近く、中島氏はJR北海道の坂本眞一相談役と近い。松田派と坂本派に言い換えた方がより正確かも知れない。

 JR発足時に坂本営業部長―中島営業課長だったころから2人の上下関係はそのまま続き、関係者によると「坂本さんは中島さんが社長に就いてからも、かつての上司と部下の感覚が抜けず叱責する場面もあった。中島さんは坂本さん宛ての遺書に『情けない社長で申し訳なかった』と書いていたというが、この『情けない』というのは坂本さんに対する中島さんの口癖だったようだ」
 
 筆頭専務に代表権がなかったことや中島社長との距離もあって栗原氏のトップ昇格は見送られた。
 
 最終的には坂本相談役の判断も考慮され小池会長の社長復帰が決まったと見られる。坂本氏は相談役に退いてもJR北海道の顔として対外的な活動を一手にこなしている。10月28日に行われた中島社長のお別れ会でも会葬者にお礼をする立ち位置は、坂本相談役―小池会長―柿沼博彦副社長の順だった。
 
 社長に復帰する小池氏が最優先に取り組む仕事は、上層部を団結させることだろう。安全輸送の意識を組織の末端まで浸透させるには、まず上層部が一枚岩になっているところを社内に示さなければならない。中島社長が自ら死をもって訴えたかった遺志はそこにあるのではないか。


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