JR留萌本線の留萌駅と増毛駅の16・7㎞が4日で廃線になった。1921年11月の開通から95年、午後8時過ぎの増毛駅発の最終列車は往時の賑わいぶりを再現するかのように大勢の住民や鉄道ファンが集まり出発を見送った。去りゆくものに心が揺さぶられる1日が終わった。増毛郡増毛町は今日から鉄道亡き歴史を刻み始める。(写真は、増毛駅に停車中のJR留萌線の気動車)
北海道ではこれまで多くの鉄路が廃止されてきた。順不同で言えば、士幌線、胆振線、天北線、深名線、地北線、湧網線、羽幌線、興浜北線、興浜南線、幌内線――これら以外にもまだまだある。都会であれ地方であれ、鉄道が持つ役割はそれほど変わらない。石炭などを運ぶ貨物が減り、乗り降りする人も少なくなるとレッドカードが突き付けられて廃線になる。北海道ではそれが何度も何度も繰り返されてきた。
多くの鉄道喪失を経験してきた道民は廃線から学ぶものがあっただろうか。幾多のラストランを涙で見送った先に道民が得たものはあっただろうか。
トルストイは、『アンナ・カレーニナ』の冒頭に《幸福な家族はみんな同じように見えるが、不幸な家族はそれぞれに不幸の形がある》と書いている。それを鉄道に置き換えてみるとピッタリくる。
当たり前に鉄道を使っている都会はみんな同じように幸福だが、鉄道を失った不幸な地域にはそれぞれの不幸がある――。不幸という言い方はその地域に不遜な言い方だ。しかし、廃線が引き金になって地域の活気が失われたのは疑いようがない。そしてその状況は地域によってそれぞれ異なる。
留萌―増毛間の鉄道は95年間の役割を終え、増毛のマチは再び鉄道亡き時代に入った。堀雅志増毛町長は4日午後、増毛駅で行われたセレモニーで「増毛町は駅を中心に発展してきた。今後も駅舎と駅前通りを大切にした街づくりをしていこうと考えている。きょうで(鉄道は)95年間の歴史に終止符を打つが、増毛町には鉄道のほかに沢山の魅力がある。それを今後、全国の皆さまに伝えていきたい」と鉄道ファンの町長は涙をこらえながらひと言ひと言を噛みしめて挨拶した。
増毛町には、北海道遺産になっている旧商家丸一本間家(国の重要文化財)や国稀酒造など駅前の歴史的建造物と旧増毛小学校がある。鉄道を失ってもこうした宝物は失っていない。廃線を新たな歴史を歩むきっかけにして欲しい。鉄道も国道も水道もない上川郡東川町が輝いているように。
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