拓銀最後の頭取・河谷禎昌さん死去、持病なく自宅ソファで90歳の大往生

金融

 1997年11月に破綻した北海道拓殖銀行で最後の頭取を務めた河谷禎昌さん(90)が、2025年12月13日、自宅で死去した。破綻の責任を一身に背負い、波乱の人生を恬淡(てんたん)と受け入れた。組織の光と影に翻弄されながらも、自分を失わない芯の強さがあった。(写真は、拓銀破綻20年に際し、自宅でインタビューに応じた河谷禎昌さん=当時83歳)

 亡くなった日の朝、河谷さんは自宅で同居している姪御さんをいつものように送り出した。自分で食器を洗い、洗濯をしてテレビを見て過ごすのが日課だった。夕方、姪御さんが仕事先から帰宅すると、室内に明かりがついていなかった。河谷さんは、テレビをつけたままソファで亡くなっていた。自称17歳から吸っているという河谷さんらしく、近くにはタバコが置いてあった。持病もなく、老衰による自然死、大往生だった。

 河谷さんは、1935年1月生まれ、札幌北高、北大法卒。1958年4月拓銀入行、取締役、常務、専務、副頭取を経て1994年6月に頭取就任。1997年11月17日に拓銀は破綻、その4日後の21日に退任した。1999年3月 特別背任容疑で山内宏元頭取とともに逮捕され、2005年2月札幌地裁で無罪判決。2006年8月札幌高裁で逆転有罪、2009年11月最高裁の上告棄却で実刑が確定。1年7ヵ月、帯広刑務所釧路刑務支所に収監された。

 破綻の原因は、「たくぎん抵当証券」などの関係会社がつくった不良債権だった。拓銀破綻20年目の節目の際にインタビューした時、河谷氏は「関係会社の最も手堅い人が、一番ひどいことをしてしまった。人は変わる」と答えていた。破綻前に北海道銀行との合併交渉を進めたが、6ヵ月あまりで破談になった。いずれ拓銀は破綻するので、その時を待って、道銀が営業譲渡を受けるシナリオを当時の大蔵省は描いていたという。そして、拓銀は破綻。旧大蔵省は、シナリオ通り道銀への営業譲渡を求めてきた。しかし、河谷さんは断固拒否した。「行員のためにならない」。その一心だった。河谷さんは、北洋銀行を営業譲渡先に選んだ。

 旧拓銀関係者が言う。「河谷さんは、道銀ではなく北洋を譲渡先に選んだことが北海道のために良かったのかと、いつも気にしていた。私たちが『2つの銀行が切磋琢磨している。選択に間違いはなかった』と言うと、ほっとした顔を見せていた。最後まで気になっていたのだろう」。道銀の元頭取で、旧拓銀と合併交渉をした藤田恒郎さんは2025年7月7日、91歳で死去した。その報を聞いて、河谷氏は「亡くなったか……、同じ年の生まれなんだよね」とだけ答えた。それから、5ヵ月、河谷さんも鬼籍に入った。

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