北海道銀行・笹原晶博会長退任インタビュー「バブル、マイナス金利を乗り越え、今思うこと」

金融

 ーー合併の破談をどう受け止めましたか。

 笹原 互いに金融危機の中にあってもあり得ない組み合わせでしたが、危機を乗り切るためには、極めて重要な方法だという納得感がありました。お互いの傷み具合は分からなかったので、開示する中で認識を深めることが大事だと思っていました。ただ、大元のところが解決しないと、あいまいなままでは一緒になれないと思っていたのは、事実です。

 ーー合併交渉は破談になったわけですが、以降の流れは。

 笹原 短期間に破談になって、先ほどの優先株発行、2000年の金融再生法に基づく公的資金を導入することになるのですが、その前提となる経営健全化計画の策定にも主たるメンバーの一人として関わり、必死の思いで計画づくりを行いました。道内で2000社を超える取引先が、リスクマネーの優先株をあの局面の中、支援の意味で出してくれました。537億円の支援がある銀行だから、公的資金を入れる価値があるという流れだったと思います。

 ーーそして、2003年6月に堰八義博頭取が誕生しました。

 笹原 そのタイミングで私も取締役の一員になりました。堰八頭取が進める業績のV字回復、安定的な経営基盤の構築、活力ある組織風土の復活などを補佐する立場でした。もちろん、二度と過ちを起こさないように、リスク管理機能とガバナンスの強化は、最重要課題でした。藤田さんが、経営改善のための道筋を立て、その実行を堰八頭取に任したわけですが、私たちにとっても初めてのプロパー頭取の誕生で、(堰八頭取は)再生の道筋を完結するシンボル、新たな道銀をつくるシンボルでした。その下で、私も12年間、務めましたが、新しい銀行をつくるんだという強い思いで、極めて一体感がある中でサポートする役割ができて光栄でした。

 ーー2015年6月に頭取に就任されました。

 笹原 堰八さんに託された健全化が進み、FGの形も整ってきたので、堰八路線を継いで、さらに活気ある銀行をつくってくれということだと思い、頭取に就きましたが、ちょうどマイナス金利に入るタイミングでした。頭取を6年間務めましたが、5年半は、マイナス金利の時代でした。就任以前もゼロ金利でしたから、毎年、金利収入が減っていきました。第一次のトランプショックやコロナ禍もあって、マーケットも乱高下して、有価証券も難しい運用を強いられました。なかなか思い切った投資ができず、ある意味で守りをしっかりと固めなければいけない期間だったと思います。収入に見合う支出の体制をつくらなければいけないということで、店舗運営体制、業務方法をかなり見直して効率化を図り、コストを抑制しました。そういう期間でしたが、それについては、ある程度できたかなと思っています。

 ーー次代を担う道銀行員に望むことは。

 笹原 変化を厭わない、むしろ変化する銀行であってほしいと思っています。慣れ親しんだ仕事のやり方は、安心感があり、心地の良いものです。しかし、お客さまの価値観や受け止め方、行動パターン、銀行に期待するものは、どんどん変化しています。銀行が売りたいものをお客さまに売るのではなく、お客さまが必要なもの、お客さまが欲しいもの、お客さまが気づいていない大事なものを提供することが重要です。また、仕事の進め方についても、DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)活用など、他に先駆けて駆使し、付加価値の高い営業を展開してほしいと思います。そのためには、どうすべきかを常に考えてほしい。

 変化は現場、つまりお客さまのところで起きます。現場にいる職員のみならず、本部にいる役職員も含めて、全員がお客さま目線で感度を高め、邁進してくれることを期待していますし、やってくれると信じています。「進取創造」という経営理念を持つ当行ですが、現場感覚に基づくスピード感ある行動力をぜひ持ち続けてほしい。業界の垣根を超えて、新しいプレーヤーが出てくるので、競争は常に激しい。機敏に対応していってほしいですね。

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