北洋銀行の横内龍三会長は、頭取時代(2006年6月~12年4月)に北洋大通センター建設と事務システムの総合施設「はまなすセンター」建設という2つの大型プロジェクトを指揮していた。その最中に襲ったリーマンショックは、大型プロジェクトに暗雲を投げかけた。当時、横内頭取はその危機をどう乗り越えたのか。前回に続き横内氏の肉声を紹介する。(写真は、横内龍三会長)
 
 ――高向相談役が頭取時代(2000年6月~06年6月)に北洋銀という組織の地固めをしてきたことを引き継いで、横内さんは思い切って組織を変えていったということですか。 
 
 横内 地固めができていたので組織を変えても崩れてしまうことはないため思い切って変えました。変革、改革をするのが頭取としての私の役割でした。
 
 ――しかし、就任2年後の08年秋にリーマンショックが世界を襲いました。
 
 横内 それは悪夢のような出来事でした。当時、北洋銀は「北洋大通センター」と「はまなすセンター(事務システムの総合施設)」の建設という2つの大型プロジェクトを進めていました。リーマンショックが起き、『(多額の資金が必要な)大型プロジェクトを2つも進めるとは、北洋銀は何を考えているんだ』という世間の批判もありましたが、あの時点ではもう戻れない状況にあったのです。逆に言うと、リーマンショックの後なら2つのプロジェクトは先送りされていただろうと思います。
 
 ――2つの大型プロジェクトが完成すると償却負担が増えて収益の足を引っ張りますが、(リーマンショックによって)財務基盤が毀損されている中での償却増は利益を薄める要因になります。
 
 横内 2つのプロジェクトはリーマンショックを想定せずに進めていたので、多額の有価証券損失による財務の毀損により完成後の償却負担はかなり重たくなる。ですから、見直すところは殆ど見直しましたが、それでも足りないので徹底的な経費削減運動を行いました。
 
 職員もものすごく協力してくれました。ボーナスも下げなければならず、組合からの抵抗もありましたが、最後は話し合いで『北洋の危機である』という認識のもと、組合とも了解し合って妥結しました。
 
 ――1千億円の公的資金の注入は09年3月のことでした。
 
 横内 私は、本心から(公的資金を)入れた方が良いとこれは完璧なトップダウンで決めました。私は誰が見ても完璧に不安がないようにしなければならないと1千億円注入を決断したのです。
 
 ――赤字は1期のみに留まりましたね。
 
 横内 徹底的に見直して経費も節減したので、償却負担とのバランスを取って利益を出せるところにきましたが、繰り返しますがこれは容易なことではありませんでした。役職員が力を合わせた組織を挙げての成果だったと思います。頭取としての私の力ではないが、良かったなと最大の喜びを感じます。もちろん、会長になったからと言って公的資金返済問題や役職員にボーナス削減など苦労を掛けたという責任が解きほぐされるという訳ではありません。
 
 ――頭取として遣り残したことはないですか。
 
 横内 振り返って残念なことは、行内のIT化が頭取在任中に完成できなかったことです。北洋銀は、融資システムや営業店(支店)のIT化が遅れていました。リーマンショックが起きていなければ、既にIT化は完成してスタートしているはずです。融資システムのIT化は13年度から稼動します。頭取時代に実現しませんでしたが、きちんと引き継がれています。遣り残したことを強いて言えばIT化が遅れたことが残念ですし、私の消化不良として残っています。
 
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 次回は、頭取を引き継ぐ決断をした理由やプラベートな話題を紹介する。


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