北海道銀行の堰八義博頭取が在任8年目を迎え、組織体制を再構築している。今年6月の役員人事で初の自前内閣を作り上げ部門ごとに取締役を配し、後継者育成も視野に組織固めに舵を切った。道銀は来年が創立60周年の節目。組織強化で新しいスタートを切る考えだ。


これまで、道銀は堰八頭取が前面に出てイメージ一新を図ってきたが、懸案の公的資金返済も完了し堰八頭取が就任時に目指した第一段階の目標は達成したことから再生道銀から新生道銀へ第二段階の構築に取り組む。
堰八頭取が就任したのは7年前の6月。その前年末には47歳で代表取締役に就任していた。
拓銀との合併破断や融資取引先企業への優先株発行による資金調達、公的資金導入などバブル後遺症で経営危機に陥っていたまさにその渦中、前任の大蔵省出身、藤田恒郎頭取が後継に選んだのが堰八氏だった。道銀にとっては初のプロパー頭取でしかも当時、地銀最年少頭取の誕生ということで堰八氏の双肩には想像以上の負荷がかかっていたに違いない。
藤田氏は道銀再生を若い堰八氏に託した訳だが、堰八頭取は期待と不安が渦巻く中で、行動する頭取を身をもって示した。融資取引先で作る親睦団体のらいらっく会の会合には欠かさず出席、訪問客には区別することなく面会し冠婚葬祭にもこまめに出席した。
某らいらっく会の幹部は、こう言う。「ある夏に野外でバーベキューをしたのですが、頭取は暑い中をスーツ姿のまま会員みんなに挨拶して回っていました。汗だくなってもスーツを脱ごうとせず、バーベキューが終わって会員らがバスに乗って帰るときも最後まで見送っていました」
こうした頭取の姿がずっと続き、OBからは激務を心配する声が出ていた。
堰八頭取は公的資金返済までは、気を抜くことなく前面に出て激務を続ける決意だったと見られる。頭取就任から7年の昨年、晴れて公的資金を計画よりも1年前倒しで完済、肩の荷がひとつ降ろせたことから今年6月には初めて自分で役員を決める、“堰八自前内閣”をスタートさせた。
昭和54年同期入社の笹原晶博常務を副頭取に昇格させたほか、各部門に取締役を置いて責任体制を明確にした。
堰八頭取は現在55歳で長期政権になることは内外が認める。今後は長い目で新生道銀の基盤固めに手を打っていくものと見られる。当面の課題は、経営危機に陥った時にらいらっく会会員企業を中心に発行した優先株530億円の返済になる。
(写真は2008年9月、北海道との連携協定調印式。高橋はるみ知事と握手する堰八義博頭取)

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