かつて北海道は、信金王国と言われたほど各地に信用金庫が林立していた。金融危機が訪れる前の90年代バブル期には、33信金が営業、金融当局との蜜月関係も濃く、当時は33信金中26信金に金融当局である財務局OBが天下っていた。拓銀破綻に象徴されるバブルの後始末で、信金業界も苦しみ、33信金は見る見る再編が進んで現在は23信金まで減少している。
こうした再編の過程で、財務局OBの天下りも徐々に減少、現在は5人に満たない。金融自由化で当局と業界の結びつきが以前ほど強くなくなったことや信金プロパー職員の能力向上など財務局OBの必要性が薄れているためで、昔日の面影はない。
財務局OBが理事長を務めたことのある信金は、以下に列挙してみると――「道央」「室蘭」「苫小牧」「石狩中央」「北門」「日高」「士別」「厚岸」「紋別」の9金庫。財務局OBが理事長を務めた期間にはズレがあるものの、33信金の中で9金庫、率にして3割が財務局OB理事長だった訳で、送り込む金融当局と迎え入れる各信金の利害が一致していたことを3割という数字が如実に示している。
33金庫時代は、その後のバブル後始末に伴う不良債権の重圧に耐えられず、終焉を迎える。財務局OBが理事長を務めたことがある「道央」「石狩中央」「士別」「紋別」は現在に至る再編の過程で他の金庫と合併、消えた。
財務局OBを頑として受け入れなかった象徴的な信金が「稚内」。200カイリ規制で北洋漁業が打撃を受けた時なども決して財務局にSOSを出さなかった。
当局との間合いをどう取るかは各信金の事情によるが、「稚内」は一つの見識を社風ならぬ金庫風として持っていると言えよう。
ところで現在、財務局OBが理事長を務めているのは、「日高」と「苫小牧」のの2信金。人事のタイミングや財務局OBの能力が合致する適材適所の結果として理事長職に就任している。
信金の経営環境は落ち着いているものの、平時は乱世の前触れでもある。預貸率の低下や有価証券運用の比率拡大などは、信金業界の未来を決してばら色に描けない要因でもある。当局と業界の関係が変化していく中で、財務局OBが信金業界に果たす役割もまた大きく変化していくことは間違いない。