SATOグループセミナーで「つしま医療福祉グループ」対馬徳昭代表が語った「売れない車のセールスマンが起業するまで」

経済総合

IMG_9793 来春、看護学科の日本医療大学を札幌・清田に開学するつしま医療福祉グループ代表の対馬徳昭氏(60)が27日、SATOグループオープンセミナーで講演、事業の原点となった特別養護老人ホームを作るきっかけなどについて語った。トヨタのセールスマンから年間事業規模75億円、職員数2000人のグループを作り上げた対馬氏の原動力となったものは何か。講演からそのヒントを探った。(写真は講演する対馬徳昭氏)
 
 対馬氏の生まれは美唄市。父親は三井美唄炭鉱で働き(後に参議になる対馬孝且氏)、三軒長屋に住んでいた。その裏には炭鉱の所長が住む洋風の公宅。毎日高級外車が所長を送り迎えする光景を小さな時から目の当たりにして、「将来は人を使う立場になりたい」と漠然と思っていたという。物心ついた時には、事業を興し起業家になることが心に刻まれた。
 
 大学は経営の知識を身に付けるために経営学部に進学。就職も営業力を磨こうとセールスマンを選んだ。「当時のセールスマンはミシンか車が代表格。車はそれほど好きではなかったが、当時北海道を代表する経済人だった岩沢靖氏が社長を務めていた札幌トヨペットに入社、売れない車のセールスマンが社会人のスタートだった」(対馬氏)。
 
 起業家になるのが目的だったものの、具体的にこの仕事がしたいというものはなかったという。「1日飛び込みセールスをしても1台も売れなかった。夜6時に帰社して報告すると『もう1度セールスして来い』と上司。午後9時ころに帰社して『売れなかった』と言うと、再度『もう1度外回りして来い』と。それでも売れずに会社に戻ると上司が帰宅していてほっとする毎日。それからススキノに出かけて酒ばかり。売れないのは当たり前だった」(同)
 
 それでも、ある時、1台の車を売ったことがきっかけでコツを掴んだ。自ら体得した20分ルール。20分間以内に売れなければ粘っても無理ということが分かったのだという。不思議なことにそれからは売れ出すようになる。
 
 転機は25歳の時だった。ふとしたきっかけで厚田町(現石狩市)の特別養護老人ホームを見学することになる。「老人ホームと聴いてイメージしたのは暗くて湿っぽい感じ。ところが行ってみると入居している高齢者がみんな明るくて『職員が親切』と自慢げに話す。『ここは天国』と言う入居者の表情は生き生きしている。よしっ、老人ホームを作ろうと心に決めた」(対馬氏)
 
 ほどなく岩沢氏の株式投資失敗で50数社あった岩沢グループ企業は倒産。札幌トヨペットも会社更生法の適用を受けた。対馬氏はこれを機に辞めようと考えたが師事していた人物に相談すると「少し我慢しろ」と忠告を受ける。セールスマンを続けながら独学で老人ホームの知識を得る努力を続け、ススキノ通いは一転、朝5時までの“勉強”が日課になった。
 
 地域に開かれた老人ホームを作ることが目標になり行政当局と相談しても全く相手にされなかった。カネも土地もないセールスマンではそれも当然。セールスを続けながら大手企業の担当者に夢を語り、寄付を募ると賛同してくれる人も出てきたという。そうこうしているうちに寄付金の総額は4000万円を超え、対馬氏の熱意に行政も腰を上げ市から30年間の無償貸与で土地を借りることができた。
 
 1983年社会福祉法人栄寿会(現ノテ福祉会)を設立、翌年2月に50床の特別養護老人ホーム「幸栄の里」を開園。対馬氏30歳、小さいころからの夢だった起業を成し遂げた瞬間だった。ここを原点にして日本の介護をリードする30年の歩みがスタートすることになる。

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