ーー札幌商工会議所会頭や北海道建設業協会会長を務めた伊藤義郎・伊藤組土建名誉会長が鬼籍に入られてから4ヵ月になります。あらためて伊藤さんは、どういう人でしたか。
岩田 伊藤さんは、自ら決めたことを必ず実行した人でした。伊藤さんが担ってきたことを、会議所を含めて経済人数人で手分けして対応していますが、何人かかっても伊藤さん一人には及ばない。少し古い話になりますが、新千歳空港も、伊藤さんが「どうしても必要だ」と国を動かしたようなものです。便数も、最初は1時間数便でとても少なかった。自衛隊の航路とダブるという事情からでしたが、自衛隊の航路を少し狭めてもらったりして、民間航路の発着回数を増やしたのも伊藤さんだった。中央政界やアメリカとのパイプの太さは、国内でも指折りでした。
ーーアメリカの人脈はどのようにして築かれたのでしょうか。
岩田 詳しいことは私にもよく分かりませんが、米軍との絆の深さを示すエピソードはたくさんあります。空母のジョージ・ワシントンが日本に配備される際に、米軍が伊藤さんに「どの空母なら日本人に受け入れてもらえるか」と聞いたところ、伊藤さんは「日本で一番人気のある大統領はジョージ・ワシントンだ」と話したのがきっかけでワシントンの配備が決まったそうです。また、3・11東日本大震災の時には、米軍から伊藤さんに、「大丈夫か」と電話がかかってきて、軍から「助けに行くぞ」と。伊藤さんは、「東北が大きな被害を受けている」と言ったことが一つのきっかけになって、トモダチ作戦になったそうです。
伊藤さんが、道建協会長を退任した時の慰労会で、アメリカ留学の話を聞いたことがあります。伊藤さんのお父さん(豊次氏)は、札幌に帰って伊藤組土建に入れと言っていたそうですが、「日本を負かしたアメリカをどうしても見たい」とアメリカ留学を希望、当時の進駐軍があった市ヶ谷に行って「留学したい」と直談判したが、「だめだ」と言われて、1年間、バイトをして過ごしたそうです。再び市ヶ谷を訪ねたところ、紹介状を書いてくれたのが海軍の武官だったといいます。それを持って、いざアメリカに渡ったら、「これではだめだ」と収監されたと。とにかく、考えられないような経験をされています。
新幹線も、最初は現在の札幌駅への乗り入れは予定されていなかったといいます。現札幌駅から離れた場所につくる計画だった。でも、伊藤さんは、「現駅につくらないと意味がない」と期成会をつくって運動をされた。地下鉄なども、伊藤さんがいなかったらできなかったのではないか。伊藤さんは、北海道の歴史そのものでした。私たちが知らない話をもっと聞きたかった。いつも、私たちには、にこにこと笑顔で対応していただいたが、芯の強い人だった。北海道150年の歴史の中で、間違いなく5指に入る人でしょう。
ーー本日はありがとうございました。