北海道中小企業家同友会の顔だった故大久保尚孝元専務理事の「お別れの会」、北洋石井頭取、道銀堰八頭取らが参列

経済総合

  一般社団法人北海道中小企業家同友会の専務理事を長く務め、同会の基礎を作った故大久保尚孝さんの「お別れの会」が22日、札幌市民ホールで行われた。全国の同友会関係者や北洋銀行石井純二頭取、北海道銀行堰八義博頭取など約200人が出席、最後の別れを惜しんだ。同会の三神純一代表理事(エミヤ会長)は、「大久保さんの同友会精神を受け継ぎより良い会社、より良い経営者、より良い経営環境を目指していく」と遺影に誓った。(写真左は主催者挨拶する北海道中小企業家同友会三神純一代表理事、写真右は遺影に献花する参列者)
 
 北海道中小企業家同友会は、道内経済団体の一角を占め、中小企業の多い北海道では発言力や影響力も高く経済社会の裾野を支えるいわば岩盤のような団体。全国各地に中小企業家同友会があるが、北海道は加盟社数が5600社と全国4万社の15%を占め、規模・中身とも全国同友会をリードする存在。
 
 大久保さんは、1929年神奈川県藤沢市生まれで、藤沢商業学校を卒業後に帝国銀行(第一銀行)に入行。札幌支店勤務だった1960年代後半に同友会誕生に関わった。なにわ書房の当時の浪花社長に強く請われて第一銀行を退職、70年4月に発足間もない北海道同友会の初代事務局長に転職した。当初は大久保さんの自宅が事務局でそのために自費で電話を引いたり事務用品を購入したり交通費を賄ったりしたという。
 
 その後、加盟社の増加とともに事務局も二度三度と引っ越し、そのたびに所帯は大きくなっていった。74年から2000年まで、26年間専務理事を務め北海道同友会の基礎固めから官に頼らない中小企業団体として1人立ちするまで力を発揮した。2000年にプロパーとして初の代表理事に就任、02年からは相談役理事に退いていた。
 
 小柄できゃしゃな大久保さんだったが、澱みのない滔々とした語りは大久保節とも言えるもので、発言には芯を感じさせる骨太さがあった。政治や経済の情勢を分析判断する触覚は、ゼロからスタートした北海道同友会の活動でより研ぎ澄まされていったのは間違いない。今でこそ珍しくないが訪問者には事務局職員全員が起立して挨拶する習慣は、大久保さんが人と接する場合の最低限のマナーを体現したものだろう。
 
 02年に相談役理事に退いて以降は、事務局に出る日数も抑え後進に任せていたが、昨年12月下旬に体調を崩し今年初めの検査で脳腫瘍が見つかり手術。直径6㌢の腫瘍は無事摘出できたものの肺炎を併発、2月19日に83歳で死去した。
  
 三神代表理事は、「私にとって大久保さんは同友会そのものだった。同友会の精神は大久保さんが象徴していた」と故人を偲んだ。

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