北海道の若手経営者を育成する北海道経営未来塾(塾長・長内順一未来経営研究所社長)は9月15日、日立製作所(本社・東京都千代田区)の川村隆名誉会長(82、函館市出身、公益社団法人北海道倶楽部会長)を講師に招いた第3回定例講座を開催した。(写真は、講演する川村隆氏)
川村氏は、1939年函館市生まれ、1962年東大工学部電気工学科卒、日立製作所入社。1999年同社副社長に就任し、その後、日立マクセルなどグループ会社の会長を歴任。同社が約8000億円の最終赤字を出した直後の2009年に会長兼社長に就任して日立再生を陣頭指揮、黒字化のめどを立てた2010年に社長退任、2014年会長を退任した。川村氏は、「私の企業経営論」をテーマに講演した。
川村氏は、「創業者が高い利益率の会社を実現したとしても、後継者は創業者の経営を変えずにそのまま踏襲するケースが多く、利益率がどんどん下がっていく。後継者はプロセスを守ることが大事だと思いがちだが、それが日本企業の一番の問題点。これに対してアメリカでは、創業者と同じことをしない後継者が多い。創業者や前任者の良いところは残すが、直すべきことは直し、切るべきところは切る。プロセスを残すのではなく、創業理念を残せた会社が成長している」と述べた上で、「日本では、3~4%の利益率で喜び、そこにとどまってしまう。『黒字だからいいじゃないか』と。場合によっては、利益ゼロでも『従業員に給料を払っているからいいじゃないか』という幹部もいる。それは、社会にぶら下がっている企業だ。我々は社会を支える存在にならなければいけない」と強調した。
続いて日立製作所の話に移り、「もう一度、リーマン級のショックが来ていたら間違いなく日立製作所は潰れていた。カ・ケ・フ(稼ぐ、削る、リスクなどを防ぐ)の3つを同時並行でやるのが経営」と話し、自身が断行した宮崎県延岡市のプラズマパネル工場の閉鎖に言及。「テレビ事業を残すと日立全体の足を引っ張ると考え、黒字で利益が出ている間に閉鎖することを決めた。赤字になったらその事業を買収する企業もいないし、赤字になったら買い叩かれるだけ。閉鎖を決めた時、諸先輩たちが来て、猛烈に抗議した。それを聞き取っても、次に進めるのが社長である私の仕事だと閉鎖を決めた」と振り返った。
ただし、削ることで失敗したこともあるとして、川村氏は続ける。「半導体事業はずっと大赤字が続いており、売却を決めたが、半導体事業を残せなかったのは悔いが残る。急いでどれか捨てることをあまりやりすぎると失敗する」とも述べた。
川村氏は、企業には、商品とサービスを世の中に提供するだけではなく、人間を教育して世の中に貢献できるようにする役割もあると話す。その一つが、他企業への越境学習。一定期間、他の企業に身を置いて新たな視点などを学ぶ取り組みで、自身の体験も紹介。「私は、越境学習をしたことはないが、ハイジャックに遭遇しそうになったことがある。東京から札幌行きのジャンボに搭乗していた時、不審者が操縦室に入り込み、操縦室には犯人と刺されて瀕死の機長の2人だけになってしまった。乗員たちはマニュアルに従って犯人の要求を聞くだけだった。そこに、客席にいた非番の機長がやって来て乗員らを一喝した。緊急アラームが鳴って墜落の危機が迫っていたからだ。その機長は、ドアを蹴っ飛ばして中に入って犯人を捕らえた。その後、コトの顛末が分かって、非番機長の英雄的行動を知った。そこで学んだことは、非常時にプロセス通りにすることは答えにならないということだった」と話し、「それが私の越境学習に近い経験だった。その事件の後、2009年3月3日に指名委員会から電話がかかっきて、『社長を引き受けないか』と。仲間たちからは引き受けるなとも言われたが、その体験を思い出し、引き受けることにした」と振り返った。