サラリーマン生活では、たくさんの勉強をさせてもらい楽しい5年間だった。しかし、続けているうちに何か自分で商売がしたいと思うようになった。そんなときに義父から前述の話を聞いて、「よし、これは何かの縁だ」と決意、お菓子屋を始めたという訳だ。
 ただ、自分でお菓子は作れないし、この業界に知り合いもいない。簡単に、「美味しいケーキを買って売れば良い」と思ってスタートした。お金がなかったのでお店の内装も義父にしてもらい、家賃も最初は免除という恵まれた中でのスタートだった。ところが、思うようにはいかない。仕入れたケーキは売れないし自分でも満足できない。お菓子を作ってくれる職人を探した。半年くらいたって職人が見つかり、初めて「きのとやのケーキ」が生まれた。
 
 職人が来て新しいケーキを作ったものの、なかなか売れなかった。1日1万円、2万円という売上げが続いた。1日10時間、店を開けても10人も来ない。1時間に1人しかお客が来ない。創業のころはそんな状態が続いた。お客が来るのを待っているのはすごくつらいものだ。何とかお客に近づけないかと考え、予約を取ることにした。それまでは売るよりも捨てる方が多かったため、予約を取れば捨てなくても済むと思ったからだ。予約が取れるケーキは何かと考えてバースデーケーキを思いついた。これなら1年先の予約も貰える。

 早速、バースデーケーキの予約を取ることにしたが、当時、宅配はなく私の店まで予約に来て、当日は取りに来てもらわないといけない。札幌中心部より離れている南郷通まで予約のために来たり、ケーキを取りに来るお客様は少ない。「予約したいけどそこまでは取りに行けない」という声が大半だった。やむを得ず、「宅配します」と言ったことから実は宅配がスタートした。
 1日1~2件から始まり、5件、10件、そして50件、100件と配達件数がどんどん増えていった。なぜかというと、子どもさんの誕生日向けが多かったので近所の友だちを集めて誕生日パーティーをすると、参加した近所の子どもさんも自分の誕生日に「きのとやのケーキを食べたい」という連鎖反応でどんどん注文が来るようになったからだ。
 
 最初の1年間は厳しかったが、2年目に入ったころから急激に売れるようになり、創業4年目のころに繁盛店と言われるほどになった。お店は1店舗しかなかったが、1年間でケーキだけで2億5000万円くらいの売上げがあった。ある問屋さんから、「1店舗で5億円売ったら洋菓子専門店で日本一になるよ」と言われた。それを聞いて、「よし日本一を目指そう」と決断して5つの目標を立てた。創業して4年目のころだ。
 まず、1店舗当たりの売上げを5億円にして日本一を目指すこと、2つ目は美味しいケーキ日本一を目指すこと、3つ目はお客様の満足も日本一にすること、4つ目は利益も日本一を目指すこと、5つ目にきのとやで働く従業員の賃金も日本一にすることだった。
 
 店舗を増やせば売上げを倍にすることは可能だ。しかし、1店舗で売上げを倍にするのは正直できないだろうと思っていた。勢いというものは恐ろしい。2億5000万円から次の年は3億8000万円、その次の年には5億円を超えて2年で目標を達成した。慌ててもう少し目標を高くしようと2店舗で10億円という売上げ目標を立てた。これも4年で達成した。1店舗だけで11億5000万円を売り上げたこともある。洋菓子の専門店で当時10億円を超す店舗はなく、「きのとやは日本一」と業界で言われた。(以下、次回に続く)

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