IMG_9920 新日本有限責任監査法人札幌事務所などが協力して道内で活躍する起業家を表彰する「EOY(アントレプレナーシップ・オブ・ザ・イヤー)2014ジャパン北海道地区アワードレセブション」が、17日に札幌市内のホテルが開催されたが、ゲストスピーカーとして『成長への挑戦』をテーマにアインファーマシーズの大谷喜一社長が自身の経験をもとに講演した。集まった起業家たちを前に、大谷氏は失敗談も含めて経営者の心理状態を子細に打ち明けた。講演要旨を再構成して掲載する。(写真は、講演する大谷喜一社長)
 
 第一臨床検査センターが株式を店頭公開した94年当時の売上げ構成は、ドラッグストアが5割、残りは臨床検査と始まったばかりの調剤事業だった。ドラッグストアでは殆ど利益が出ず、稼いでいたのは臨床検査。株価は上昇し大谷氏にはそれが大きなプレッシャーになっていた。「何とか株価を維持したい」―大谷氏は多角化に進む。臨床検査や調剤は売上げが立つまでに時間がかかる。手っ取り早く売上げがあがるものは何か、そこでホームセンターや家電量販、それにドラッグストアの強化に乗り出したのだった。
 
 その結果、売上げは順調に伸び3年後には160億円に拡大したものの収益は思ったほど伸びていかなかった。そして襲ってきた拓銀破綻。当時は連結会計の導入が間近に迫り、同社も先取りして連結会計を始めていたが、単体では黒字でも連結すれぱ赤字。自己資本もどんどん減少する経営の逆回転は止まらなかった。「成長したいがために、売上げは立つが収益力の低いものに投資してしまった。これが失敗だった」と大谷氏は述懐している。
 
 98年には臨床検査事業を売却、調剤に集中する体制を取るため社名もアインファーマシーズに変更。大谷氏は、役員の前でこう謝罪したという。「申し訳なかった。多角化路線は失敗だった。でも創業者だからもう一回やらせてほしい」。調剤以外の事業は売却か縮小、起業家として一発逆転を狙ったのだった。大谷氏ともう一人の役員は『売却担当』として走り回り、他の役員は調剤の拡大に集中した。
 
 事業を4つから2つにしてキャッシュを多めに持つように事業のポートフォリオ変えることに着手したものの、4期連続無配で減損は40億円にのぼり本来なら倒産しているような状態だった。そんな時にも資金調達の手は緩めなかった。株価は低迷しているから市場から調達できない。第三者割当増資でファンドから30億円を調達、大谷氏は「このお金がなかったら今日のアインファーマシーズはなかった。本来ならこんな会社の増資に応じてくれるはずはないが、株式公開前から10年間に亘って築き上げてきた信用があったので調達できた。ファイナンスも最後のところでは“情”の部分がある」と語っている。
 
 一発逆転によって、出血は止まり、調剤事業は拡大路線を進むことになった。当時から医薬分業によって調剤マーケットが拡大する方向は見えていた。同社が調剤を始めたころ、マーケット規模は1兆円、20年後には6兆円に広がると予測されたが、実際にはさらに増えて7兆円規模になっている。 
 
 現在、同社の市場シェアは2%、約1500億円の売上げがある。近い将来には10兆円のマーケットになると見られているが、「大企業が参入してもおいそれとは勝てないマーケットになっている。競争だけではない独自のマーケットになるように経営資源を投入してきた」と大谷氏。
 
 同社は毎年200~300億円売上げが伸びており今後も10%成長を続け「近いうちに数千億円規模の売上げになるだろう」(大谷氏)
 
 09年4月に東証2部、10年4月には東証一部に昇格したが、そのたびにファイナンスを行ってきた。大谷氏の持株比率は10%に下がっているものの筆頭株主。「創業者だがもうオーナーではない。当社は資金調達して成長、バランスシートも整っている。自己資本比率は40%台で早く50%を超えたい。ROE(株主資本利益率)は14・5%あるがもう少し高くしたい。起業家の多くは資金調達で悩んでいると思うが、僕らの時代より調達面はずっと良い環境だ。資金調達でトップラインをあげていくことは極めて大切だ」と大谷氏は繰り返す。
 
 最後に茶目っ気たっぷりにこう締めくくった。「起業家は行き当たりばったりでも構わない。壁にぶち当たったら経営の方向を変えれば良い。それこそがまさに変化への対応だ」
                                   (この稿終わり)


1人の方がこの記事に「いいんでない!」と言っています。