“輪厚”(わっつ)の略称で知られる札幌ゴルフ倶楽部(北広島市輪厚)。北海道のナンバーワンゴルフ場として格式の高いこの倶楽部の理事長に太田三夫弁護士が就任しておよそ2ヵ月。コースの発足時から関係が深かった旧札幌銀行のカラーが徐々に薄まっているようだ。(写真は、札幌ゴルフ倶楽部理事長を退任した吉野次郎氏)
札幌ゴルフ倶楽部は、全国的にも珍しい社団法人のゴルフ倶楽部。戦前、札幌のゴルフ好きの経済人が集ったのをルーツに、戦後の混乱が落ち着いてきた1958年に輪厚コースを開場してその歴史を歩み始めた。
倶楽部の初代理事長は、当時の北海道相互銀行(道相銀)社長だった道家斎次氏。道家氏は北海道拓殖銀行の出身で50年に北海道無尽を設立、翌年に相互銀行に転換して社長に就いた人物。
道家氏は、札幌の経済人たちとの関係が深く、当時の拓銀でも北洋相互銀行(現北洋銀行)でも、設立されたばかりの北海道銀行でもなく道相銀が名門輪厚の開場に中心的役割を果たした。
その後の理事長を見ると、2代目の水出久雄氏、3代目の潮田隆氏、4代目の吉野次郎氏といずれも道相銀(89年に普通銀行転換して札幌銀行に)のトップが理事長を引き継いできた。道家氏から潮田氏までは旧拓銀出身、吉野氏は札銀の生え抜き頭取だった。
しかし札銀は、金融再編の波に呑まれる。2001年4月に北洋銀と持ち株会社『札幌北洋ホールディングス(HD)』を設立、吉野氏は副社長に。08年10月にホールディング体制を維持しつつ2行は合併、吉野氏は新『北洋銀行』の代表取締役副会長に就く。11年6月に顧問に退き、13年6月には69歳で顧問も完全退任した。その間、12年10月に北洋銀行が札幌北洋HDを吸収する“逆さ合併”で現在の北洋銀に至っている。
吉野氏が札幌ゴルフ倶楽部理事長になったのは、07年2月。札銀頭取で札幌北洋HD副社長の時代だった。しかし、理事長を務めている間に出身母体の札銀は先のように事実上北洋銀に吸収され、吉野氏が北洋銀から完全退任した13年6月以降は、旧札銀頭取という重みで理事長を続投していた。
そして今年2月末、太田氏が5代理事長に就任した訳だが、理事長禅譲の布石は既に4年前に打たれていたという。というのも、太田氏は札幌ゴルフ倶楽部の理事を務めていたものの当時は“島松”の略称で知られる札幌国際カントリークラブを運営する島松ゴルフ場社長だったからだ。その太田氏をキャプテンとして引っ張ったのが吉野氏だった。
満を持してこの2月、常務理事でキャプテンだった太田氏が理事長に就き、吉野氏は名誉理事長に退いて開場以来続いた道相銀・札銀出身理事長の系譜は途絶えた。
北洋銀は、札銀との関係を考えれば理事長ポストを引き継ぐこともできたはず。しかし、倶楽部の歴史を踏まえ目立つ行動を控えたようだ。石井純二頭取は、引き続き一理事として倶楽部の運営に協力する体制を続ける。
北海道を代表する名門ゴルフ倶楽部の理事長ポストを敢えて追わなかった北洋銀――旧拓銀、旧北洋、旧札銀の寄り合い所帯から生まれた分別とすれば、その評価は分かれるかも知れない。肉食系か草食系か、銀行に必要な行風はどっちだろう。