アインホールディングス元副社長・南雲正氏死去、71歳

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 アインホールディングス(本社・札幌市白石区)が、持ち株会社に移行する前のアインファーマシーズで代表権のある副社長を務めた南雲正氏が、2025年8月13日、がんのため死去した。71歳だった。(写真は、2025年8月15日に札幌市内で行われた偲ぶ会)

 南雲氏は、1954年7月27日、新潟県六日町(現南魚沼市)生まれ。2男5女、7人兄弟の次男、末っ子だった。県立小千谷校卒業、北海学園大学卒業後の1977年に杏林製薬(本社・東京都千代田区)に入社。同期入社に大谷喜一氏(アインホールディングス社長)がいた。大谷氏は、1981年11月に退社して、第一臨床検査センターを設立。南雲氏は、その翌年の1982年2月に同社に入社した。

 大谷氏と南雲氏は、杏林製薬の研修で知り合った縁で、大谷氏が独立するにあたり南雲氏を誘ったわけだが、南雲氏は、当時のことを「電話で誘いがあった時、大谷さんのことを覚えていなかった。でも、覚えているふりをして話を合わせたんだ」と語っていたという。
 第一臨床検査センターで、南雲氏は、1988年5月営業ニ部長、1989年5月常務取締役に就任し診断事業部長、1993年5月専務取締役就任、1995年5月医薬事業部長に就任。事業の中身が、臨床検査から調剤薬局にシフトしていく中で、同社は、1998年11月、アインファーマシーズに社名変更、2003年5月に代表権のある副社長に就任した。

 2014年7月、60歳で副社長を退任して相談役に就き、一線から退いた(アインファーマシーズは2015年11月に持ち株会社に移行、アインホールディングスに社名変更)。以降は、セミプロ並みのゴルフと趣味のベースギターを楽しんだ。2024年にリュウマチ性多発筋痛症と診断され、通院。2025年1月にがんが見つかり、入退院を繰り返したが、8月5日に入院、13日に死去した。同年8月15日に、札幌市内の斎場で行われた偲ぶ会で、大谷社長は「相棒で3歳下の弟だった。(酒もたばこも)なんぼ言っても言うことをきかない奴だった。頑固でね」と共に歩んだきた南雲氏の死を悼んだ。

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